ケーキは見た目が8割【時々書きたくなるエッセイのようなもの】
おいしいものに目がない。思えばそれは東京に来てからだ。
地元にいた頃は、お金もなければ車もない。そうすると選択肢は限られてきて、マクドナルドかミスタードーナツかちょっと奮発してチェーンのイタリアンか…といったところ。しかしその点東京はすごい。ものすごい数の飲食店が腕を振るって待っている(もちろん、地元だって車さえ手に入ればカフェやらダイニングやらいろんな選択肢が増えるのだけれども)。
だから、友人とごはんを食べに行くときは、チェーンの居酒屋もいいんだけれども、せっかくならば【偶然のおいしい出会い】がほしいなあと思うので、率先してお店を探す(もちろん高けりゃいいわけじゃない、コスパが大事)。あるいはデートなんか、雰囲気のいいカフェというのもたまにはいいのだけれど、それよりメニューがそこそこのおいしさであってほしいな、と思う。あるいは大学生にありがちなように、わたしと吉田くんもラーメン屋さん巡りにどっぷりハマっていて、休みの日、夕方頃のそのそと起き出してきてはラーメンを食べるためだけに街に繰り出すなどして(色気もへったくれもない)、そこそこの数のラーメンは食べてきた。
それから実家を出て一人暮らしを始めたことで、ようやく重い腰を上げて自分で料理をするようになったのだけれど、これもなかなかに楽しい。包丁さばきは一向に向上しないし、おしゃれな盛りつけもできない、未だ目分量でちゃちゃっと何かを作ることもできない程度の料理スキルだけれども、おいしくかつ簡単な料理レシピの検索技術だけは一級品だと自負している。
おいしいものには目がない。そんなわたしだけれど、ケーキだけは別。ケーキは見た目が8割だ。
想像してみてほしい。デパ地下に並ぶ数多のケーキ屋さんのショーケースを眺めて、「どれにしよう」「あれもいいなあこれもいいなあ」と行ったり来たりしながら悩む。そうして今日はこの子、と決めた可愛い子を、家に帰ってお皿に載せてじっくり眺める。それぞれのケーキごとのカラフルな生地。ツヤっと輝く表面のコーティング。そしててっぺんに飾られた形も色もプリプリの艶も、最高にすばらしいフルーツ!
思うに、ケーキの役目としてはここまで十分なのだ。ここまでわたしの心を躍らせてくれたならそれで十分、ケーキとしての真価は発揮し終えたも同然。
そりゃ、いちごのショートケーキとかモンブランとかチーズケーキとか、大抵どのお店にもあるような定番商品ならば、味の大事さの比率もあがってくるけれども。それでも、見た目に美しいショートケーキがあったらそれは大抵、スポンジにお洒落に洋酒が仕込んであったりして、ちゃんと味にもおいしいケーキだったりするから「見た目8割」論はこの定番ケーキたちにも当てはまらないわけでもないはずだ。
(某カフェのチーズケーキ。お店の雰囲気も相まってとても可愛らしい)
書いていて思い出したけれど、一度だけそれで大失敗したことがあって強烈に覚えているのは、桜のドームケーキ。淡い桜色の雪玉のようなほわっとした丸い形に惹かれて買ったのだけれど、食べたらトイレの芳香剤のような味がした。でも数多のケーキを食べてきて失敗はその一度と思えば、どんな理論にだって多少の例外はあるもの、「ケーキは見た目が8割」論も捨てたものじゃないと思います、いかがでしょう。
さて、朝っぱらからどうしてこんなことを書いているかというと、先日まさにわたしの理想を体現しているようなケーキ屋さんに出会えたから。
(最初の写真のケーキも実は同じお店のもの)
料理の盛りつけもろくにできないわたしからすると、ケーキ職人さんってほんとうにすごい。小さめの長方形の直方体という制限の中に表現された甘くておいしい小宇宙。素敵な世界をありがとう。