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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

目的が第一【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

イソップ童話の逸話でこんな話がある。レンガを積む3人の男達に「何をしているのか?」と尋ねると、1人目の男は「レンガを積んでいる」と答え、2人目の男は「大きな壁を作っている」と答え、そして3人目の男は「みんながお祈りするための教会を作っているんだ」と答える。さあ、誰が1番仕事にやりがいを感じ、また成果を出しているでしょう?と、そういう話だったと思う。要するに、今自分が取り掛かっているもののゴールや、意味を理解していることが大事だよね、というやつ。

入社式かなんかでこんな逸話を聞いたから、というわけではない。が、インターンシップなんかを含めて、仕事をしていてわたしが最初に学んだことは「目的が第一」ということだった、と思う。

 

一度目の就活で、第一志望の会社に落ちて、どうしよう…公務員でも受けようかしらなどとふわふわしたことを思っているときのことだった。なかば巻き込まれるような形で、立ち上がったばかりのとある小さなNPO団体の手伝いをしていた。それは子どもに対してワークショップ的な教育プログラムを提供している団体で、わたしの役割はそのプログラムの中身を考えて、実施すること。

最初、ミーティングは、超憂鬱だった。リーダーが超優秀な人で、自分がつくった内容に対して、一切の隙も許されないくらいに、とことん質問をぶつけられたから。「ここをこうしたのはなんで?」「これはなんのためにするの?」「この授業のゴールは?どこを目指しているの?」「これを受けた子たちに、どうなってもらいたい?何を学んでもらいたい?」……約1年間、毎回ほぼマンツーマンでリーダーに質問攻めにあい続けた時間は、「そうか、なんとなくそれっぽいものを作るんではダメなんだな」「目的や意味のもとに、いろんな行動を設計しなくちゃいけないんだな」というのを、わたしという人間の骨の髄まで分からせてくれた。(今思えばほんとうにありがたいことだ…。)

 

「目的が第一」。入社した瞬間からそれを理解していたわたしは、(ほかにいろいろな欠点はあったのだけれども、)その点においては新卒にしてはなかなかできるやつと認識してもらえてたんじゃないかと思う。レンガ積みの職人よろしく、仕事はそこそこハードながらも確かにやりがいを感じていたし、だいたいの仕事は楽しかった。

そんなわたしでも欝っぽい何かになったのだから、人間ってむずかしいなあと思う。

何しろ、「仕事の出来る人」というのは、すなわち「サボるのが上手い人」ということらしいのだ。言葉の意味としては理解できるものの、「上手いことサボる」ことが壊滅的にできないというのは、わたしにあった様々な欠点のうちの1つだったなあと思う。これは、今抱えている最重要課題でもある。

 

さて、話はそれたけれど、「家事のじかんわり」を作ってみて1ヶ月がたった。うまく家事がまわせるかどうか、検証して報告します、と宣言していたものの、今月前半は体がしんどくてほとんどぼーっとしていたから、全然その通りにできていない。炊事洗濯と掃除機かけくらいはできたものの、それ以外は全くといっていいほど、何もできていない。

「家事をうまくまわす」。これが目的、と思っていたのだけれど、その点においてはだめだめだった。

でもふと、乾燥機にかけたふわふわのタオルを取り出して畳んでいるときに、思った。なぜ、家事をうまくまわしたかったのか?

それは、このふわふわのいい香りのタオルのためじゃなかったか。おいしくて楽しい、夜ご飯の時間のためじゃなかったか。お日様の香りのする布団に包まれるためじゃなかったか。

要するに、人生が楽しくあるために。それだけなのだ。それがすべてに先んずる、「第一」のことなのだ。そのために、すべての行動は設計されてしかるべき、なのだと思う。それ以外のことは、家事も仕事も何もかも、所詮、手段にすぎないのだから。

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 そういうわけで、「家事のじかんわり」は、まったくその通りに進めるためのものでもないのです。いいのです、その通りに行かなくて。元気があるときはたくさんやったらいいし、全然ダメって日は、休んだらいい。なんとなく動けるんだけど、でもやるべきことが多すぎて何をしたらいいかわからないなあ、って混乱してしまうとき、「とりあえず、この日はこれをやったらいいんじゃない?」ってやることを提案してくれる。そういうものとして活用していけたらそれでいいかなあ。そんな感じ。

「目的が第一」。仕事だけじゃなくて、家事も、生き方も、ぜーんぶぜーんぶ、そうだよねえ~。