とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

【誰よりも熱い感想】「ジブリの大博覧会」に行ってきた!(3/3)映画を見たあと、大博覧会のあとは。ヤボだけどあえてジブリ作品の根底にあるメッセージを紐解く。

ジブリが好きすぎて好きすぎて興奮のままに語るよ!第3部。

前回まではこちら。

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「大博覧会」というもう一つの物語!

映画作品とともにあった、「宣伝」というジブリの表現の、30年間のもう一つの「物語」。

そう、この展覧会は、ただ単にわたしのようなジブリオタクに、制作の裏側の、あるいは未公開の、あるいは限定のこんなものあーんなものをたっくさん並べてそれらをヨダレを垂らして見てもらうというような、そんな単純なものではないのだ。ジブリがここで見せようとしているのは、今制作を小休止しているスタジオジブリが、実はもう一つ、30年かけてコツコツ作り上げていた、【作品】なのだ。

 

余談だけど、実は当初おとな2300円だった入場料が、鈴木さんの「我が儘」で、映画と同じ1800円になっていたらしい。

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(「ジブリの大博覧会」ホームページより)

映画と同じ1800円。

だからね、この博覧会は、1つの映画を見る気持ちで、(ヨダレ垂らすのもいいんだけどもそれだけじゃなくて)ぜひふかーく、じっくーり、噛み締めて味わってほしいなあ!と思って、(あるいは映画と違ってDVDにはできないので、わたしが味わったことを忘れないようにしたいなあと思って)こうしてヤボながらも書いてみている次第なのだ。

 

さて、 ジブリの映画には、本質的なメッセージがある。

この展覧会もまた一つの作品なのだとしたら。

このジブリの最新作「ジブリの大博覧会」には、どんなメッセージが込められているのだろう。本質は、どこにあるのだろう。

 

この問いを検証するために、この展覧会の「お土産」であるパンフレットから、「宣伝」という仕事のもう一つの大切な要素を拾い上げてみたい。(おうちに帰って、振り返って整理するまでが展覧会です!たぶん!笑)

 

 

鈴木さんがやったこと。本質を捉えることと、それから。

猫の恩返し」「猫になっても、いいんじゃないッ?」というコピーと、主人公が草原に寝転がっているポスター。

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東宝の宣伝部がポスターを作ったら、たくさんの猫を並べて、その真ん中に主人公を置くと思います。よくこの題材から、こんな宣伝を考え出しますね。鈴木さんの秘密を見た気がします」

 

東宝の宣伝プロデューサー、伊勢伸平さんの言葉。

確かに、猫といえばそれだけで可愛くてキャッチーな題材。大衆に響かせることだけを考えたら、きっとそうするのが“普通”だとわたしも思う。

 

なのに、あえてそれを外して、平凡で日々に退屈している女子高生の主人公をポスターに据える大胆さ。

そしてそれでいて、なんと興行収入は64億6000万円…!

「普通にやったら、20億円の作品だと思いますよ。これはもうほとんど手品ですね」

 

「僕にいわせれば、それは手品でも何でもなく、やるべきことを具体的に一つひとつ積み重ねていた結果なんです」。

“普通”にやったら、20億の作品。それを64億円超にまで押し上げたのは、しかし、ポスターやコピーの持つ力やセンスだけではない。

 

宣伝のための題材をもとに、じゃあ誰に、どのようにして協力してもらうか。一切飾らない言い方をすれば、すなわち、どの企業と組むか。あるいは組んでもらう・協力してもらうために、どうやって動くか。何を提示するか。

 

わたしは働いて1年のペーペーでしかないけれど思う。作品の本質をつかみ、宣伝の方針をつくるところまでは、たぶん、「下ごしらえ」といっていい。プロデューサーとしての鈴木さんが手がけた「宣伝」の仕事の大部分はむしろこっちなんだろうな、と。コピーを作るとか、そういう見た目からしてクリエイティブだな、と思わせるような仕事と比べると、ずっとずっと地味だし大変そうだけれど、大事な部分…(そしてわたしが苦手だなと思ってしまう部分…)。

 

そして、ここでもやっぱり、鈴木さんはすげえな、と思った。

というのは、そういう地道でクリエイティブとは違う頭を使いそうな、いよいよお金の臭いが色濃く漂うような、そんな仕事――を、やっぱりわたしの偏見というか、一般的な枠組みとは、違う捉え方で見ているから。

長いけれど、これは、鈴木さんの言葉をそのまま引用したい。

 

たとえば、日本テレビと組むことで何が起きたか?

テレビスポットなど直接の効果もありますが、むしろ僕が注目したのは、関わってくれた人間の数でした。

直接の窓口となる映画部のメンバー、さらに、バラエティーやワイドショーなど、各番組のスタッフを合わせると、おそらく100人はいるでしょう。さらに、日本テレビには系列局が28局あります。制作から営業まで含めて各社100人社員がいるとすると、合わせて2800人。

関連する制作プロダクション、広告代理店、さらに新聞、雑誌、ラジオなど、他のメディア関係者も含めると、軽く1万人ぐらいが1本の映画の宣伝に関わることになります。

また、宣伝協力をしてくれるタイアップ企業の存在も抜きには語れません。たとえば、ローソンは全国に約1万2000軒もの店舗があります。各店10人の従業員・アルバイトがいるとして12万人。読売新聞の場合は販売店が約7000軒ありますから、仮に5人ずつとして3万5000人。一時期はタイアップしていた郵便局であれば、全国に24万人もの局員がいました。

それらを合計すると、40万人もの人々がジブリの映画を応援してくれることになります。彼らが家族や友達といっしょに、たとえば3人で映画館に来てくれるとしたらどうなるか?120万人の観客動員が見込めるのです。

 

一方で、僕らは映画を作るたびにキャンペーンで全国各地の映画館を訊ねてまわります。ジブリ作品の場合、多いときで、大まかに言うと500ヶ所ぐらいで上映しますが、各映画館で働く人が10人として合計5000人。彼らもまたジブリを支えてくれる大事な仲間です。

試写会では全国で10万人に見せることを目標にやってきました。彼らは最初のお客さんであると同時に、口コミを通じて、宣伝マンにもなってくれます。さらに、試写会の告知自体が映画の宣伝になることを考えれば、効果は何倍にも膨らみます。

 

僕はそういった具体的な数字をもとに、観客動員というものを考えてきたのです。

宣伝とはメディアに広告を出すこと。そう考えている人が多いと思います。でも、僕にいわせれば、宣伝の本質というのは、映画を応援してくれる仲間を一人ひとり、地道に増やしていく作業なんです。

 

 

わたしたちは、こう考えがちではないだろうか。

宣伝とは、メディアに広告を出すこと。一人でも多くの“消費者”あるいは“ターゲット”の目に留まること。そのために、どの枠でどれくらいの長さのCMを打つべきか。どの雑誌に、どの新聞に、どれくらいの大きさの広告を出すか。見た人のうちの何%が映画館に足を運んでくれて…、グッズの収益はいくらで……。

 

でもそこには、CMを見たり、雑誌や新聞の広告を見たりする人だけではなくて、むしろそれ以上に、そのために奮闘している「働く人」がいるんだ。そして彼らは、CMで見て、雑誌で見て、あるいは記事を読んで…そういうのなんかよりも、ずっとずっと深く、その映画に関わる。チームの一員になる。だから、彼らこそ、愛着を持ってくれるはずなんだ。

 

わたしたちは、消費するだけじゃなくて、働いている。いやむしろ、消費することよりも、働いて、自分の手で何かに貢献することの方が、望むにしろ望まないにしろ、ずっとずっと濃度のある時間として生きているんじゃないだろうか。

 

当たり前なんだけど、見落としがちなこういう“一人ひとりとしてのわたしたち”を、ちゃんと見つけてくれている。見て、伝えようとしてくれている。ただ結果を出そうとガムシャラするんじゃなくて、誠実に仕事をしている。その上で、どこに広告を打とうかとか、どんな手段を使おうかとかを、組み立てていく。

 

魔法でも手品でもない。リアリズムの極致です。

 

こういうことを、言葉でいうだけならば簡単だ。わたしだって、そういうふうに仕事をしていたいと思っていた。しかし、いざ自分が働くとなると。「社会人としての責任」「結果を出さなければ意味がない」こういう言説に、プレッシャーに、わたしたちは追い込まれながら仕事している。そうしているうちに、先の結果ばかりを見てしまう。そこにいるはずの人のリアルな姿をついつい見失ってしまう。あるいは、自分のキャパシティーを超えてしまって、崩れ折れてしまう……。

言葉にするだけではない。試行錯誤しながら、失敗もしながら、それでも行動して、そして更には結果につなげている。これが、鈴木さんという人の凄まじさだ。

 

 

ジブリの大博覧会」というジブリ作品に込められた本質、メッセージとは。

伝えたいメッセージの先に、リアルな人がいる。

そしてたくさんの人に伝えたい、と思ったとき想定する先に、リアルな人がいる。

ジブリ作品の持つ魅力の源泉は、ここにあるのではないかなあ、とわたしは思う。

 

思い出のマーニー」のあと、スタジオジブリは長編映画の制作を「小休止」し、制作部門も解散した。今後のスタジオジブリがどうなるのかは、未知数だ。ディズニーやピクサーと比較して「ジブリは終わった」みたいな、そういう言説もあるらしい。

 

きっと、スタジオジブリという会社は、スタジオジブリというブランドのためにあるのではなくて、宮崎駿さんしかり、高畑さんしかり、映画を通して伝えたいメッセージを持つ、「一人ひとりのリアルな人」のために、スタジオジブリがあるのだろう。

だからもし、そこにそういう「リアルな人」がいなくなってしまうのであれば、スタジオジブリも解散するのが自然な形なんだと思う。

だから、たとえ「スタジオジブリはもう終わりだ」なんて言ったとしても、それは……宮崎駿さんや高畑さんや、これまでスタジオジブリが作り上げてきたものまでをも否定することはできない。できないと思う。

 

 

さて、最初の問いに戻ろうと思う。「この展覧会の持つ本質的なメッセージは何だろう」。

わたしたちを芯から魅了してきた数々のジブリ作品。今回のこの展覧会は、その裏側のリアルを見せてくれた。すなわち、【スタジオジブリと関わり「働く人」たち】の様子を、【「宣伝」という物語】として、見せてくれたのだ。

それは、一体何のために?ただ単に、「ジブリはやっぱり、すごい!」と言わしめるためなのか。いや、絶対に、そうじゃない。

 

みやさんや高畑さんがすごい映画を作った。僕はそれを大いに宣伝し、ヒットを作り出してきた。その結果、たくさんの人々がジブリ作品に魅了され、夢中になってきた。ありがたいことだと思っています。ただ、映画をひととき楽しんだ後は、そこから抜け出して、自分自身の人生に向き合っていってほしい――それが僕のささやかな願いでもあるのです。

 

少なくとも、わたしは思った。わたしだって。

結果にしがみついて、本質を投げ出したくない。自分が生み出すものを取り巻く人、一人ひとりを忘れないでいたい。わたしだって、そういうふうに働いていたい。そういうふうに、生きていたい。鈴木さんのような天才ではなかったとしても、それでも、わたしにできる限り、精一杯の範囲で。

 

もちろん、ジブリは、全員に「そうであれ!」なんて言ってないと思う。それでも、全員でなくても、一部でも、こうやって心に響いた人がいるのであれば。たとえ「スタジオジブリ」はなくなったとしても、「ジブリの長編映画作品」はもう生まれないとしても、スタジオジブリのような仕事は、モノづくりは、きっとこれからもほかの場所で作られ続けるんじゃないか、と思う。

 

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わたしも、そういう仕事ができるひとりでありたい!と思いながら、ショボくてもショボイなりに、ブログを書き続けられたらいいなあ!

 

 

というわけで、「ジブリの大博覧会」@六本木は9月11日(日)まで。行ったらぜひとも、パンフレットも購入してくれ!!!!!(`・ω・´)

www.roppongihills.com

 

おわり!