とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

【昨日のダーリン】参院選投票日に「できるかぎり、じぶんのあたまで考える」。

※「昨日のダーリン」:ほぼ日の「今日のダーリン」を読んで思ったことを気まぐれに書く。

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とうふです。

参院選投票日。20代になって数年経ちましたが、「ちゃんと選ぶ」ってほんとうにむずかしい。

正直に申し上げると、これまで、「ちゃんと選ぶ」ことができないがために、【投票に行かない】という選択をしたこともある。

 

「ちゃんと選ぶ」ためには、考える“べき”こと・知る“べき”ことは山のようにある。

 

アベノミクスの波を止めてはいけない!」って言っても、そもそも今、アベノミクスはほんとうにわたしたちが求める効果をあげているのか?あるいは、今うまくいっていたとして、“だから今後もうまくいき続ける”といえるのか?そして、それ以外で重要な論点は何があるのか?

現野党の政党は、単に現政権の批判だけで終わっていないか?それぞれどんな公約を掲げているのか?どんな未来を描いていて、それに向けて具体的にどうやって進もうとしているのか?その手立ては有効なのか?

 そして、それらを考える上で、どんな情報が必要か。どこに、情報はあるのか。

 あるいは、参議院の持つ役割とは?そもそも「わたし」は、どんな未来を望んでいるのか?それと照らし合わせると、さて、どんな判断を下すべきなのか…?

 

「ちゃんと選びたい」と思ったら、考える“べき”こと・知る“べき”ことは山のようにある。

そしてよっぽど、考えるための時間が確保できているとか、”考える持久力”があるとかでなければ、途方にくれてしまうよねえ。そんなわけで、正直に申し上げると、わたしは今、日々自分のことだけで精一杯で、「ちゃんと考えて」投票することはできないでいる。

 

 

単に投票率をあげるだけでいいなら、「適当に選ぶ」ことだってできる。あるいは、自分たちがお得になるようにだけ、考えて選ぶことだってできる。

 

それでも、中途半端にしか考えられない・知ることができないとしても、わたしたちは「ちゃんと」選びたい。「ちゃんと」真剣に日本を考えたい、「ちゃんと」未来を考えたい。投票に行かない若者の中には、意外とこういうクソ真面目な人だって、多いんじゃないかなあと思うのです。

 

 

それでね、今日7月10日の「今日のダーリン」は、「考える」ことについてでした。

(こんなふうに、必要なときに、必要な言葉を紡いでくれるのってすごいなあと思う。)

 

できるかぎり、じぶんのあたまで考える。これは、むつかしいようで、むつかしくない。

 

じぶんのあたまで考える、のは、とてもむつかしい。じぶんのあたまのなかには、あちこちから、借りてきたものや、昔からすみついている考えがたっぷりあって、それをとろとろとかきまぜて、じぶんの考えみたいなものができてくるのだから、どこからどこまでが、じぶんの考えかなんてことが、わからなくなってしまうし、どこらへんがじぶんの考えなのかもわからなくなる。それは当然のことなのだ。

 

でも、できるかぎり、じぶんのあたまで考える、は、「できるかぎり」がついているのが、とてもたすかる。じぶんの考えを見つけようとしなくてもいい。じぶんのあたまのなかの、借りものの考えのほうを、たしかめて見ればいいのだ。

 

「いまこそ、この問題について考えよう」なんてときは、あたまのなかは、借りものだらけになっている。だれかが言ってたこと、どこかでちょっと読んだことと、そういうもののうち「へーなるほど」だとか、「これは正しそうだ」とか、「かっこいいな」だとか、「これなら、りこうそうだ」と思ったことを、そのまま借りて、じぶんの考えとしてしまってある。この考えをどこで借りて、どうして選んだのかな、と、ちょっと整理をはじめるだけで、じぶんの考えがどこらへんにあるのか、またはないのか、正直なところが、少しでも見えてきたりする。「ほんとは、なんにも考えてなかったのか」とか、「訊かれたときに困るから、こう考えていたのか」とか、わりと、身も蓋もないことを知ってしまったりもする。それが見えるのが、「できるかぎり」のいいところだ。

 

借りものの考えや、借りてる考えの又貸しなんかが、激しく飛び交っているような時期に、「できるかぎり」のやり方で、あたまのなかを調べて、小さな「じぶんの考え」が見つかったらいいなと思う。

 

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。じぶんの考えが矮小でもわがままでも、恥じることはない。

 

 (全文引用、太字・下線はとうふ)

 

なんだって、「できるかぎり」しかできないんだ。

当たり前のことなんだけれど、わたしたちはこれを忘れがちで、できないことまで「やらなくては!」って思ってしまうんだよなあ。できないことは、できないのに。

 

だから、今日は「できるかぎりちゃんと」選ぼう。例えそれで、間違ってしまったとしても、「ちゃんと」間違ってしまった、と思っていよう。「あいつが悪い!」とか、無責任に批判だけするような人にだけは、ならないでいよう。

できるかぎり多くの人の「できるかぎりちゃんと」が、いい民主主義を作るんじゃないかなと思う。 

 

 

■昨日のダーリン。前回はイチロー選手のはなし。

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