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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

ほぼ日「今日のダーリン」が好きだから、読んで思ったことを徒然書き留めてみる。

こんにちは。村上とうふです。

ネット環境が家にない。だから家で書いては外に出かけて、Wifiスポットからブログを更新する…。そんな充実した(?)ニートライフ。うふふ。

 

簡単に言えば、【ほぼ日の「今日のダーリン」を読んで思ったことを書き留めてったらおもしろそうだからやってみる】。以下経緯。

 

さて、大学時代に糸井重里さんという人を知った(コピーライターという職業もこのとき知った)。

ほぼ日刊イトイ新聞」(略して「ほぼ日」)という素敵すぎるメディアを知った。それ以来、ファンなんです。知ってる人は知っているでしょうからいいでしょう。知らない人も、わたしがぐだぐだ説明するより、見たらわかるから見てほしい。

 

www.1101.com

 

 

「今日のダーリン」っていうのは、ほぼ日のトップページに糸井さんが毎日書いている“エッセイのようなもの”。普通の新聞だと、大抵、一面に毎日、編集者の人が書くコラムみたいなものがありますが、そんな感じ。朝日新聞でいえば「天声人語」、読売新聞の「編集手帳」、産経新聞「産経抄」。あれって、新聞の大事な顔だと思うんですわたしは。

 

「ほぼ日」のほかのコンテンツは、過去のものも見たいときに見ることができるのだけれど、「今日のダーリン」はどこにも蓄積されていないんです。毎日書かれて、昨日のものは消えていく。消えていくから、「今日の糸井さん」を見るために、今日も、わたしはほぼ日を訪れるのです。

 

で、いま、せっかくブログで思ったことを書き留めていくでしょ。

読んで、せっかくいろんなことを感じる文章だからこそ、やっぱり、ホルモンを書き留める者としては、ただ毎日読んでおしまい!ではなくて、書きたいときに、「いいなあ」って思った言葉とともに、自分の感じたことを、書き留めていって、写真みたいに、「ああそんなことを思ったこともあったなあ」と振り返れたらもっと楽しそうだなあと、そういう思いつきから、やってみます。

 

たぶん、ネット環境の悪さと遅筆故、その日のうちに更新できないから、早くて翌日UPになるだろうし、もしかしたら、しばらく寝かせてから更新するかもしれない。

 

そこで、このコーナー。名づけて、【昨日のダーリン】(どやあ)。

…正直、このタイトル思いついちゃったから、やりたいだけみたいなところある。

コーナー化するほど続くのかどうか謎ですが、どうか適当に見守ってください。

 

 

 

と、いうわけで、6月24日(金)の「今日のダーリン」。

 

 

イチローという選手はどうしてイチローになったのか。

イチロー選手がヒットを打ち続けて、偉大な記録を達成した。イチローという人は、果たしてどうやってイチローになったのか。あるいは、イチローでなくても、うまくいっている人と、自分との間には、一体何の違いがあるのか。

「なにを、どうすればうまくいくのか?」人は誰だって、うまくいっているものへの興味があります。「なぜ?」に対する答えを、知りたいという気持ちに駆られます。だけど。という話です。

 

小学生の頃、相変わらず根暗で地味だったわたしは、よく、クラスで一番可愛い女の子のことを考えていました。「なんでわたしはあの子として生まれなかったんだろう。なんでわたしはわたしに生まれてきたんだろう」って。わたしっていう外見の生き物が嫌で、わたしの中身がそのままあの子の中に入ってたらよかったのに!と思っていたわけです。(そういうこと、考えたことありますか?)

 

ともかく、わたしはわたしでしかない。わたしが彼女のように可愛くなることはないんだろうし、世の中の可愛い人、すごい人は、ほかのそうでない人とは、“もと”が違うのね、って思っていたのです。

 

 

それがしかし、高校生になって、スーパーラッキーなことに、わたしの身に余るほどの素敵な恋人ができてしまったのです。なぜかイケメンで明るくて人当たりのよい彼が、相変わらず地味~で垢抜けない外見のわたしを、好きだと言ってくれた。(想像してください。現実に、こんな、ラッキーなことってそうそうありますか?)

 

でもね、「こんなことある?!ラッキー!」と思ったもう次の瞬間には、「もっと可愛くならなきゃ、そのうちフラれる」と思いました。ポジティブでもネガティブでもなく、ただ「このラッキーを、みすみす逃したくはない!」その一心だけでした。

「努力したところで変わるものなのかどうか」とか、考えるまでもなかったのです、わたしは人生ではじめて、かわいくなるためのあらゆる努力をしました(目が大きくなるマッサージとか、小顔になるためにひたすら「ポリバケツ」ってつぶやきまくるとか、制服のスカート丈を、ちょっと校則違反にしてみるとか、はじめて、ヒールのある靴を買ってみるとか)。それで実際、少しずつ変わっていく自分を目の当たりにして(実際、「かわいいは、ある程度、つくれる」!これほんとに)、ようやくその頃、「わたしはわたしに生まれたんだから、それはもうどうしようもないけど、それでも、元からあるものの上に少しずつ、積み重ねていくことはできるんだな」ってことを思うようになりました。

 

そして今わたしが理解していることは、イチローは最初からイチローだったわけではなくて、少しずつ積み重ねてイチローという選手になっていったのであって、今も、積み重ね続けることで、イチローで有り続けているんだなっていうことです。もちろん、“もと”が全くないって言ったら嘘になると思うんですけど、「“もと”が違う」って思っている以上、傍観者でしかないわけです。自分に積み重ねる上で、効率が落ちてしまうわけです。少なくともわたしはそうだ。

 

「なにを、どうすればうまくいくのか?」糸井さんがおっしゃる鉄則は、こうです。

「とにかく、骨惜しみをしないものがうまくいく」

効率よく・要領よくとか、あるいはそもそも、「その方向の努力であっているか?」とか、いろいろあるけれど、うん、本当に、わたしたちにできることの1番は、それなんだと思う。それなしには、どうしようもないのだ。

 

「骨惜しみしないとは、すなおに、すぐに、すっとやる....。」

しかしこれほど難しいことはないなあと思います。

 

で、これができないからって、「自分はなんてだめなやつだ」って、思うこともないですよ。

だって、この前の日の、「今日のダーリン」に書いてあった。

 

【人も言う、我もよく言うよきことは、するがなかなか難しきこと】

――つまり難しいことなんです。「そうあったらいいんじゃない?」という憧れみたいな。