とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

どぶに捨てる時間【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

ずいぶんとご無沙汰してしまった。理由を書くと、9月あまりにも順調だったせいか、それとも季節の変わり目だからか、10月に入ってなんだか毎日疲れてしまってぼーっとしていたというのと。そういうぼーっとしてご無沙汰していることを自分で許せなくて、でもそんな自分を許してあげようかなあとまた重ねてぼーっとしていたというのと。そんな緩さで生きていたけど、まだ世の中はこういうことを理由として書いておくべき世の中だろうと思うのでこうして言い訳がましく書いている。

そうして自由にぼーっと寝転んでいたり、退屈を慰めるためにゲームをしたり、星野源を聴いたり、本を読んだり、字の手習いをしたり、空想にふけったりしていたら、すっかり夏の痕跡は消え去って、カレンダーは10月下旬になっていて、そろそろ何かを書きたくなってきた。うん、これでいい、と思う。

 

さて、わたしはわりとゲームが好きだ。ドンピシャポケモン世代で、スーパーファミコンやら64やらプレイステーションやらには事欠かなかったし、元来やるからにはとことんやり込みたい性格なので簡単にのめり込んでしまう。

そういうわけで、今月の退屈しのぎのゲームは、とっても単純でつまらないゲームをやっていたのだけれど、ふとプレイ時間を見たら8時間を超えていたので流石にびっくりしてしまった。

 

子どもの頃の、ポケモンのプレイ時間の○時間○分というのは、誇らしいものだった。これだけかわいいこのポケモンたちと過ごしてきたんだぞ。これだけ、手塩にかけてきたんだぞ。そういう蓄積した何かを意味する数字だった。ところがどっこい、いいおとなになった今、つまらないゲームを8時間、というのは、なんだかとても時間を無駄にしているような感覚になる。どぶに捨ててしまっているような。馬鹿だなあ、とわたしの中の「大人」が言う。

そこまで思ってから、ふと、なんだか寂しい気持ちになった。子どもの頃、あんなにわくわくしていたものが、大人になると、こうやって1つ1つ、色褪せていくんだろうか?

 

そして子どものわたしが顔を出す。でも待てよ。自分が楽しいなら、心地いいならその時間は、別に無駄でもなんでもないじゃないか。

むしろ、その時間こそ大事なんであって、むしろ、やりたくもないことをやっている時間こそがほんとうは、自分の人生を、どぶに捨てている時間なんじゃないか?

やりたくないけどやらなきゃいけないことをやる時間を、できる限り減らすことこそが、楽しそうでカッコイイおとななを作るんじゃないだろーか?

本気でこんなことを考えている。

 

子どもの頃、わくわくしていたあの時間を、大人になったからって、失いたくなんかない。こんなふうに心の底から本気で思っていて、失っていく切なさを味わって楽しめるわけでもないあたり、わたしはほんとに本気で大人になりたくないんだろうな、と思う。そういうやつなんだろうなあ、と思う。

でも、うん、これでいい。こういうわたしの方が好きだ。

 

 

とはいえ、大人的現実にちょっとだけ逃避すると、そろそろ就活しておいたほうがよさそうだ、と思う。ご飯を食べたり大事な平穏を守るためには、そろそろ。

最小限の頑張りで。そういう適当な感じで。それでいいし、それがいい。

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