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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

本屋さんのいけないところと平凡な図書館【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

エッセイのようなもの 心が折れた人の役に立ちそうと思うもの

わたしが人に勧めたい本というのは、つまり、わたしが自分の本棚に入れておきたいと思う本だ。

この夏は家事と書くことのほか特段することもないので、図書館で何冊か、エッセイを借りて読んでいる。最近借りたうち、2冊を読み終わった。鷺沢萌(サギサワメグム)『町へ出よ、キスをしよう』と江國香織(エクニカオリ)『いくつもの週末』。

シンプルに言ってどちらもよかった。好きな一節や文章は写経のごとく「ほぼ日手帳」に書き写しているのだけれど、江國香織に至っては、収録されている16話のうち8話くらいはそのままそっくり書き写しておきたくなってしまったから、「これは絶対に本棚に入れるべきだ」と思っている。

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ハズレの小説はあってもハズレのエッセイはない。それがエッセイのすごいところ。1冊にいくつものエッセイが入っているから、1冊読めばどれかしらは気に入るものがあるというのもあるけど、それだけではない。たぶん、エッセイを書く人は、エッセイを書こうという時点で、エッセイを書けてしまう時点で――どこかが外れているんだろうなと思う。そういう人しかエッセイを書こうと思わないし、出版されるほど面白いエッセイは書けない。

 

今住んでいるところには、歩いて10分ほどのところに図書館がある。スーパーマーケットに行くのとそう変わらない。本屋さんよりも近い。素晴らしいことだ。

以前住んでいたところは、20分電車に乗って、さらに駅から15分ほど歩かないと図書館にたどり着けなかった。休日という限られた自由な時間を、わたしはショッピングをしたり友達とカフェに行ったりふらっと旅に出たり――ほかのいろんなことにも使わなければならなかったので、本が読みたいなあと思ったときには、図書館に行く余力もなく、ショッピングのついでに繁華街の中の書店に寄ることになってしまった。

 

本屋のいけないところは、まず文庫本は出版社ごとに分類されているところだ。多くの人からしたら、講談社文庫も新潮文庫も文春文庫も関係なく村上春樹村上春樹なのに。

それから文庫以外のハードな小説なども最近の話題作ばかりが目に飛び込んでくるようになっていること。みんなきっと同じようにこれを手にとって、同じように買っていくんだろうと思うと、ヒネクレ者なわたしはなんだか鼻白んでしまって読む気になれない。

 

そうして、本屋をウロウロして、あれでもない、これでもないとやっているとだんだん疲れてくる。わたしは本を選ぶためだけに、タイトルを眺めることだけに、一体何分時間を費やしているんだろう?その時間を、一瞬でも「読んでみようか」と思ったものを読むのに当てる方が、よっぽど有意義なんじゃないか?と、そんな気がしてくる。そういう勢いで、もういいや、これを買おう、と思って買った本は、最初の十数ページでなんだか違う気がしても、「せっかく買ったのだから」と思って無理くり読んでいたりする。「続きはそのうち読もう」と、テーブルの上に置いたまま、随分長いこと食事の邪魔になっていたりする。

 

もっとひどいときには、自己啓発本やビジネス書のタイトルが並ぶのを見るにつけ……こんな体たらくな自分は変えねばなるまい、などとおかしな考えに陥って、ハードカバーサイズのそれらを買ってしまう。そういう本の表紙は大抵、エラそうなタイトルがデカデカと書かれていて、食卓からいつも、1冊読みきることもできないわたしを睨みつける。そういう食事はほんとおいしくなかった。

 

今の近所の図書館は、最初行ったときは平凡な図書館だなあと思った。そんなに広くはないスペースの、半分は児童書コーナー。蔵書も少なければ、読書コーナーも簡素でいつも新聞を読むおじいさんか勉強する高校生で埋まっている。職員の人たちはいかにも公務員という感じで、ボソボソとやる気のなさそうに話す。

でも何度か足を運ぶうち、こういう平凡で小さな図書館こそすばらしいなあ、と思うようになってきた。

 

文庫本とハードカバーとでエリアは分かれているものの、いずれにしても出版社など関係なく「日本の小説あ」とか「外国の小説W」みたいに、作者ごとに整然と並んでいる。「今この本が話題!」みたいに情報を押し付けてくるものがなんにもない。最新のビジネス書や自己啓発本なんかは、知ってか知らずかちっとも置いていない。あるのは、小説か、ほんのちょっとの学術書と、新聞・雑誌コーナーと……

何よりすばらしいのは、まるまる1つ、「エッセイ」の棚があるのだ。ほんとうに素敵。今まで行った図書館に、こんな棚はあっただろうか…あってもわたしが素通りしてきたのだろうか。

想像してみてほしい。その棚も左上の「あ」から作者の名前のあいうえお順におとなしく並んでいて、背表紙に書かれたカラフルな飴玉のようなタイトル(『町へ出よ、キスをしよう』とか『いくつもの週末』とかのように)が、自身にぴったりな読者と出会えるのだけを待っている、ようにわたしには見える。

 

唯一困るのは、何しろタダだから、目に付いたものは遠慮なく抜き取っていけてしまうことだ。一度にたくさんあってもわたしの読書スピードでは読みきれないから、どの本を持って帰ろうか迷いに迷ってしまった。

 

そうして読んでいると、「やっぱりこの子は買うべきだ」という本と出会える。ペットと同じで、買った本は、自分の本棚になってしまうのだから、やはりこうして「買うべきだ」と思ったものこそ本屋さんで買うべきなんだろう。でもやっぱり、本屋さんに行っても“買うべきその子”はちっとも見つけられないので、本屋さんはアマゾンと図書館の間で死んでしまう前に、もう少し、商売っ気を隠してみたらどうだろう、と思うのだけれど、他人事な意見でしかないでしょうか。

 

こんなことを言ったけど、もちろん素敵だなと思う本屋さんもあるわけです、でも大多数の本屋さんは、もっとのびのび、自由に生きたらいいのにね。そのためにはまずはみなさん、「エッセイ」のコーナーを作ってみてはいかがでしょうか。今逼迫した本屋さんとわたしたちに必要なのは、ハウツー本じゃなくて、エッセイですよー。

 

さて、とにもかくにも、鷺沢萌(サギサワメグム)『町へ出よ、キスをしよう』と江國香織(エクニカオリ)『いくつもの週末』は、おすすめです。彼女たちについてもまた今度、書きたいなと思っています。