とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

【うつヌケ宣言】適応障害で新卒1年で退職→転職後1年たったから振り返ってみる【中編】

またまたご無沙汰です。

うつ(か適応障害いずれか不明)で退職してから、転職し社員として復帰。

復帰から1年たったので「うつヌケ」宣言だ!

とはじめた報告エントリ。

 

【うつヌケ宣言】適応障害で新卒1年で退職→転職後1年たったから振り返ってみる【前編】 - とうふのホルモン

 

「前編」の最後に「後編は来週!」と書きながら、

そのままになり、4ヶ月!(/ ・_・)/

ほかのおもしろいこと、やりたいことを追いかけそのままになっていました。

が!今「書きたい」気分がやってきた。(`・ω・´)

 

・・・・・・そして完結しなかった。

後編ならぬ、中編です。

(※これがとうふクオリティです。)

 

【前編】がうつ発症まで

【中編】が発症してからゼロの状態に戻るまで

【後編】はゼロから再スタートして、発症前以上に進んだところまで

というふうに区切らせてください。

 

 

★目次

 

5.まさか「うつ」だとは思っていなかった

泊まりがけの研修でぼろぼろになり、

翌朝、起きがけのめまいと職場の先輩に会うだけで涙腺崩壊、まともに話せない。

「あ、このまま出勤しても絶対迷惑になるだけだ」

と気づいたわたしは、その日休みをもらった。

 

「ああ、今日はこれでもうなにもしなくていいんだ…」

 

とはいえ当時、わたしの部署(人事)は就活シーズン真っ只中、超がつく繁忙期。

ほっとした部分は心のほんの10%くらいで、

むしろその「ほっとした気分」がある分だけ余計に、残り90%は、

「一刻も早く元気にならねば…」

という気持ち。

 

ねむれないけど、体を休ませるためにひたすらベッドで横になった。

鳥の鳴き声や、トラックが通り過ぎる音を聞きながら、ひたすらぼーっとしていたら、不思議なくらいあっというまに1日が終わっていった。

 

暗くなった外を見て、

「明日は、会社にいかなくちゃ」

「迷惑かけないように、ちゃんと働かなくちゃ」

と思うと怖くて仕方ありませんでした。

 

 

それでも、まだわたしは自分がうつだとは一ミリも思っていなかった。

 

「会社の人はみんないい人だ」

「広告代理店などもっと激務な業界と比べたら全然まだましだ」

「この程度で、うつになるわけがない」

「この程度でうつなんて思ってたら、本当に苦しい人に失礼だ」

 

と思っていた。

もしタイムマシンがあって当時のわたしに会えるなら、

あるいはもし、今この瞬間、まさにそう思っている人がいるなら、

とんでいってとりあえず一発殴って、それからぎゅっと抱きしめてあげたい。

 

 

当時のわたしには、

「休むための正当な理由がほしい」

「うつって誰かがいってくれたらいいのに」

「・・・こんなこと思う時点で、うつなんかじゃない。甘えだ」

と思っていた。

 

 

ばか!!

病名がどうとか関係なく、自分が前に進むのがつらいなら、

まずは立ち止まるのが一番いいに決まってるじゃないか!!!ヽ(`Д´)ノ

 

 

6.有給消化、休職期間へ

そんなわけで、「早く復帰しなきゃ」という思いと裏腹に、

翌日もその翌日も同じような状況で復帰できず。

そういう状況が数日たったところで、不眠と昼夜逆転もはじまりました。

無限に寝れることが自慢だったわたしが、夜、一切ねむれなくなりました。朝方少しうとうとするくらい。

 

起きているといっても、ベッドに横になるだけで、ほとんど動けずにするすると1日が過ぎていったように思います。

物理的には動けるはずなのに、だからこそ「起きろ!働け!」と思っている自分もいるのに、

いざ「起き上がろう」とすることが、つらくてしかたないのです。

 

このへんは、同じような日が続いていたせいか、記憶があいまいです。

 

どうにかこうにか上司には連絡をし、

「有給があるうちはとりあえず休みなさい、連絡しなくていいから」

からはじまって、

有給終わりに確か一度、限定的な形の勤務で復帰しようとしたのですが、

1日行ってギブアップして。

 

精神科・心療内科にかかり、

抑うつ状態」という診断で診断書をもらい、

(ああやっぱりうつじゃないんだ、と思った)

傷病手当金をもらいながらの休職期間に入りました。

(※傷病手当金は、会社からではなく健康保険の制度でもらえます。活用しよう!)

 

 

会社の産業医とも面談し、

4月いっぱい休んで、5月ゴールデンウィーク明け復帰をめざす、と決めていたものの、

いくら休んでも、薬を服用しても、一向に変わらず。

 

今から思うと、

何もかも、休むことすら

「●●しなくちゃ」って思考だったんですよ。

そんなんで、元気になるわけないじゃない!!!(`・ω・´)

でも、そのさなかにいる時って、自分の思考をメタ認知することって、

ほんとうに難しいんですよね…。

 

結局、ゴールデンウィークあけ、休職継続を選んだ。

そのときは「もしかしてわたしこのままずっとこうなのかな」

と不安でしかたなかった。

 

 

7.よし、退職しよう!

で、メタ認知できなかったわたしを救ってくれたのは、数々のブログでした。

「ずっとこのままだったらどうしよう!」と心細くて仕方なくて、

夜眠れないとき、ひたすらスマホで仲間や先達を探していたんです。

 

いろんな生き方をしている人がいた。

みんな「休め!」って言ってくれていた。

 

「●●しなきゃ」って自分をおいつめるのはやめようって言ってもらえた。

 

それではじめて、

「そういえばわたし、●●しなきゃってついつい言ってるなあ」

と思ったんです。

 

で、「●●しなきゃ」をやめよう!って思ったんですけど、

それすら「やめなきゃ!」「あ、しまった言っちゃった!」って思ったり。笑

 

で、やめる努力をするにあたって、気づいた。

 

定期的にある産業医や上司との面談とか、

「無理しないでね」「いつでも力になるよ」「なんでもいってね!」って言ってくれる優しい同僚さえ、

当時のわたしにとってはプレッシャーで。

 

彼らがいい人であればいい人であるほど、

「彼らの負担になりたくない」

「彼らの役に立ちたい」

って気持ちが出てきてしまう。

 

冷静に、「ここにいたら休まらないや。」って気づいた。

それで、5月の半ば、退職する旨を上司に報告しました。

 

「気持ちが不安定なときに大きな決断をしないほうがいい」

って意見もあったけど、

 

「戻るにしても、早く元気になれるほうがいいし、

 違う会社にいくことならなおさら、長くぶら下がらないほうがいい」

 

…って、ここでも自分志向じゃなくて、

会社のこと第一に考えちゃってるのがホントもう!って感じなんですけど、

そう思ったから、気分すっきりやめれました。

 

そういう意志を伝えたら、

ずっと休職状態だったので、退職時期は2週間後の5月末でいいよ、

とすんなり決まった。

 

のちのち家族には

「6月のボーナスもらってからやめればよかったのにー!」

ってすごい言われた。笑

 

今のわたしとしても、「あんなになるまで働いたんだからそうすりゃよかったなー」と思う部分もあるけど、

1ヶ月無駄に苦しい思いして、数十万のはした金受け取るくらいだったら、

やっぱりわたしは1ヶ月っていう自分の時間を選ぶな、と思う。

(数百万なら違うかもしれないけど笑)

 

 

8.家族のこと。やめてからしばらくのこと

さて、時間を少し巻き戻そう。

仕事を休むようになってから、

実はしばらくは家族にも言えないでいた。

心配かけるのが怖かったのだ。

 

まず話したのは、今の夫(当時はまだ恋人)だった。

遠距離恋愛で毎日コミュニケーションをとっていたので、隠しようがなかったから。

休み始めたとき、「つらくて会社にいけないどうしよう」って泣きながら電話した。

 

夫としては、遠距離恋愛だるいなーってのもあったと思うけど笑、

「そんなにつらいならやめちゃえばいいじゃん」って一番に言ってくれた。

「結婚しようよ」って言ってくれた。

「なんも考えてない」が6割くらいだと思うけど笑、当時のわたしはすごく救われた。

 

 

親に話せたのは、休み始めて2週間くらいかな。

「実は、会社にいけてないんだ」って。

すごく心配してくれて、

「寮にいても休まらないんじゃない?実家に帰ってきたら?」って言ってくれたけど、

当時私は「一刻も早く職場復帰する!」ってつもりでいたから、

それはしなかった。

 

で、退職のこと上司に話して決まって、

「会社やめることにした。1回荷物実家にひきあげていい?」

って電話したら、

「なんで報告だけなの!!!相談してよ!!!」

って怒られた。

 

そのへん、全然上手にできる余裕がなくて、

でも「自分で決めたい」って気概だけがあって、

ほんとう心配かけたなあと思う。

頭があがらない。

 

 

退職後は、実家ではなく、実家から車で30分くらいのおばあちゃんの家に行くことにした。

すぐ噂が広まっちゃうようなど田舎な地元だと、かえって辛いかもしれないからって。

まじめなおじいちゃん。すっごくおろおろしてた。

どう接していいのかわからなかったんだろうけど、すごい想ってくれてるのは伝わってきて。

 

会社をやめて、なんのしがらみもなくなって、

それだけで少し体調が違った。

まず、夜ひさしぶりに眠れた。超きもちよかった。

 

それで、

「あ、ここが底だ。ここからは上がっていくだけだ」 

って、自然と前向きな気持ちになれた。

 

「●●しなきゃ」じゃなくて、

ちょっとずつ、「やりたいこと」のなかで、

「できること」からちょっとずつやってみよう、と思った。

 

最初は、「夜寝れたわたしえらい!!」からはじまり、

「ごはんをおいしく食べたえらい」とか

「お風呂に入ったえらい」とか

なんなら、

「今日は辛い気持ちを優先してお風呂入らないことにしたえらい」

とか笑、ほんとやっとゼンブに、「できた!えらい!!」って思うことができた。

 

それからは、たまに3人で散歩にいって、川で魚をみたり、夏なのにコスモスが咲いてるのを見つけたり、キジが鳴いてるのをきいたり。

このブログを開設したり。

お母さんが旅行に誘ってくれて、はじめて母娘ふたりで旅行に行ったりした。

 

 

 

・・・きっと、苦しい人のなかには、今まさにこの瞬間、

そばで支えてくれる存在がいないって人もいると思う。

それでも、生きていていいんだって言いたい。

わたしにできることなんてこれを書くこととか、

これを読んでくれた人に言葉をかけることくらいしか今はなくて、

ちっぽけで、無責任だなあと思う。

 

でも、これだけは思う。生きていていいんだ。

価値を生み出してなくてもいい。

誰かに助けを求めたっていい。

いつかハッピーになるための休憩や準備期間を、たっぷりとっていいんだって言いたい。

 

それを責めるような人は、ほうっておけ。

とにかく、自分で自分を責めることはしないであげて。

一番自分の近くにいる、自分自身は、自分の味方でいていいんだって思う。

 

 

【うつヌケ宣言】適応障害で新卒1年で退職→転職後1年たったから振り返ってみる【後編】 - とうふのホルモン