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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

森とサバンナと平和なマンション【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

エッセイのようなもの

最近のマイブームは霊長類学だ。といって、まじめに勉強しているわけでなく、バイト帰り、電車の中で、エッセイや小説を読むのと同じように無邪気に楽しんでいるだけだけれど。

日本では、京都大学なんかが有名だけど、そもそも欧米と比べても霊長類学が盛んらしい。そんなことは知らなかったのだが、もともと「人間ってなんなんだろう」「心ってなんなんだろう」とかっていう、考えてもどうしようもないようなことを考えるのが好きだった。大学の専攻も、哲学科なんかと迷いつつ、人類学を選んだくらいだ。だけど、根っからの文系ゆえ、「霊長類学=生物学の延長だなあ」くらいにしか思っていなかった。

でも待てよ。ヒトについて知りたいならば、ヒトとヒトではないものとの線引きを調べてみるっていうのは、結構大事じゃないか?

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これが、思いのほか楽しい。やっぱりわたしたちは、自分の外側の世界について知ることでしか、自分自身を知ることなんてできないんだなあと思う。

あとは、別に「人間は動物とは違う特別な存在だ!」などと信じていたわけではないけれど、しっぽのあるいわゆる「サル」と、ゴリラやチンパンジーなどの霊長類っていうのはそもそもかなり違っていて、ヒトは動物ではないナニカではなくて、霊長類という動物グループの一種に過ぎないんだっていうのが、そう言われると、改めてへへえ~と思う。チンパンジーやゴリラやボノボたちは、「サルの一種」ではなくて、「霊長類というヒトの仲間の一種」なのだ。研究者の人たちが、研究のパートナーであるチンパンジーのことを、「彼ら」とか、「1人のチンパンジーが」とかみたいに、同じヒトの仲間として書いているのが、ああそういう距離のところにいるんだなあと思って楽しい。

 

何をもって「ヒト」と呼ぶのか。これは実は結構大変な問いだと思う。

今でこそ、チンパンジーやほかの霊長類と見分けが付かないなんてことはないだろうけれど、歴史の教科書に出てきた最初の人類・アウストラロピテクス(今は違うのかな)と、それ以前の類人猿を分けているものは…すごく、ものすごく繊細なナニカなんだろうなあ。そう考えると、ある種が種として誕生するのこと自体が、すごく不思議だ。ロマンチックだ!

 

ちなみに、ヒトが生まれたきっかけというのは、森からサバンナへと出て行ったのが大きいのではないか、というのを読んだ。

住む環境が変わる。食料が変わる。何もかもがそれまでどおりに行かなくなって、少しずつ少しずつ、行動や習慣が変わっていく。そしてさらに少しずつ、少しずつ、長い時間を経て、生き物の形も変わっていく。あまりにも膨大な時間なので、言うとあっさりしてしまうけれど、そこでは途方もない数の命の、生とそして死が繰り返されているんだと思うと、生きる上で生きづらさが常に付きまとうのも致し方のないことなのかもしれない。生きづらさをどうにかこうにか越えたものだけが、生きる場所を獲得していく。

なお、ヒトという生き物は、生きづらさを克服し新たな種として繁殖していくのみならず、今やヒトのいない空間を探すほうが難しいくらい、地球全土に住処を拡大している――のみならず、それでも場所が足りなくて、わたしはこうして、タテヨコに100戸ほどが積み重なったマンションの1室で、寝たり食ったりをしているわけなのだ。それでもまあ100戸なんて、都心のタワーマンションに比べたら屁のようなものだけれども……。

 

でも、人類の歴史とかに思いを馳せてみると、ほんの数百平米(?)ほどのこの土地に、およそ100家族が暮らしているって、ものすごい状況だ。もしここに、人類になったばかりのわたしたちの祖先が、たて穴式住居的な家をつくるとしたら、一体何軒たつんだろう。

その昔、人がだんだん増えてきて、住む場所だったり、あるいは食べ物だったりが足りなくなったとき、その第一の解決策は、奪い合いだったんじゃないだろうか。それでもなお、うまくいかないと気づいたときにだけ、わたしたちは、新しい何かを生み出せたんじゃないだろうか。

そんなことを思うと、この都会のマンションもきっと、悪くない。

 

こんな具合に、平和なマンションの暖かい室内、今とはるかなる過去を頭の中で行ったり来たりするのが、楽しいのだ。