とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

納得のおいしさ【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

「納得したものだけ、飲み込んでください」

8月末からはじめたアルバイト先では、わたしは結構頻繁に、いろんなお店に行ったり、あるいはいろんな人と一緒に働いたりしている。人手が足りていないところに比較的柔軟にいつでもどこでも行く便利な人材が来た、ということもあるが、研修的な意味も兼ねている。お店による違いを感じたり、あるいはいろんな人からいろんな視点でアドバイスをもらったりできるからだ。

先日も、別の支店にヘルプに行った。その支店でも、終了後、社員さんからフィードバックをもらった。自身の仕事もしっかりこなしながら、仲間の動きも見て的確にアドバイスをしてくれる、というのはとてもありがたいことだなと思う。

さてその社員さんは、わたしのよかったところと、それから改善点を教えてくれた上で、いっぱく置いて、さらにこう言ったのだった。

 

「納得したものだけ飲み込んでくださいね」

「きっと、いろんなお店に行ってるから、いろんな人からいろんなことを言われていると思うんですけど、ぜんぶ、飲み込む必要はないですからね」

「理解できないなーと思ったら、はいはいってテキトウに聞き流してればいいんですし、理解できたとしても、今の自分にはこれだなって思うこと1つずつ、飲み込んでいけばいいですから」

「ぜんぶ飲み込もうとしたらしんどいし、訳わかんなくなりますからね。人それぞれ、正解だと思うものは違いますから。村上さんがこうなりたい、と思う方向へ行けそうなのだけ、食べてください!」

 

わたしと仕事をしたのはほんの少しだけだと思うのだけれど、でも、変にまじめなわたしの性格を感じたんだろう、それで、こういう声をかけてくれたんだなあ、と思った。

正しいことを言うことは簡単だ。それでも、言う相手にとって必要なことを、きちんと必要なタイミングで、適切に言葉をかけることは、とても難しい。

 

前職では、採用だけでなく内定者教育の仕事にも携わっていた。100人ほどもの内定者を相手にするわけだから、1人1人にあわせるにも限界はある。その人が何を望むかも大事だけど、その大事さは、現場が求める水準に引き上げるという目的のために大事なんであって、というそれ以上でも以下でもない。そこにどうしようもなく違和感があった。

 

納得のいくアドバイスや研修は、おいしい。おいしいものじゃないと、消化されない。血や肉にならない、と思う。今はわからなくても…っていうのもあるだろうけど、それはそれで、飲み込まなくてもいいよ、吐き出してもいいよ、もっとそう言ってあげられたらよかったのかもしれない、と思う。内定者に対しても、自分自身に対しても。

 

今の職場がこんなふうに言ってくれる人がいる職場でよかったなあと思う。教育に携わる職場だからこそかもしれない。

でも、なんというか、それってもっと当たり前になってほしい。うーん……。

 

わたしはわたしにできることをやっていくしかない。