とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

レッドタートルこそ、絶対に映画館で観るべきだ!!【レッドタートル考】(1/3)

今年の夏は「シン・ゴジラ」に始まり、「君の名は。」「聲の形」などなど、話題作がいっぱい。

でもわたしは普段、ほとんどの映画は映画館では見ない。ぶっちゃけて言わせてもらえば、大抵の映画って、旬なタイミングで見れるってこと以外に、映画館で見る理由なんて特にないなあと思っているからだ。当たり外れだってあるし。待てるならば、金曜ロードショーでも待ってれば別にOKでしょ?∠( ˙-˙  )/と思っている。

 

そんなわたしがとてもそれまで待ちきれなくて、ほぼ唯一映画館に見に行くのがジブリ映画。というわけで、スタジオジブリの最新作「レッドタートル ある島の物語」を見てきました。∠( ˙-˙  )/

 

平日、郊外の映画館、かつ台風が迫っていたとはいえ、映画館はほぼ貸切状態。さみしいなあ。

たしかに、話題作の中、「レッドタートル」はちょっと微妙だなあとは思う。

スタジオジブリなのに、外国人が監督?」とか、

「よくわからないけどセリフがないらしい」とか、

正直ちょっとよくわからない印象、ほかの作品に埋もれているような感じがある。

 

確かにこの映画は、キャッチーなキャラクターが描かれているわけでもない(登場人物たちには、名前すらないのだから)。さらには、わかりやすくユニークなテーマがあるわけでもない。無人島に漂流するという、ある種何度も語り尽くされている普遍的すぎるくらいのテーマだ。

 

それでも。いや、だからこそ、声を大!否、特大!にして言いたいっ。

今季、「レッドタートル」こそ映画館で見るべき作品だ!!!!

乱暴にいうとさ、マジでほかのは金曜ロードショーでも待ってればよくない?∠( ˙-˙  )/(見てないけどさ)。

でもこれだけは、絶対、絶対に!!映画館に行くべきだ。ジブリオタクじゃなかったとしても!!!!

 

★もくじ(※ネタバレはありません)

 

 

言葉のない81分間。「絵に力があったら言葉はいらない」

 スタジオジブリにとって本作は、まさにチャレンジ精神の塊。海外監督との初タッグ、10年間にわたる妥協なき映画づくり、さらには苦渋の末に決断した津波シーンの挿入など、数え出したらキリがないほど。中でも81分間、一切のセリフをなくした斬新な演出スタイルは、度肝を抜くチャレンジといえるだろう。

   (http://www.cinematoday.jp/page/N0086041

 

冒頭にも書いたように、本作のポイントはジブリ初の外国人監督の起用と、②セリフの一切ない斬新な演出だと思う。①は後の記事で書くとして、ここではまず②から語りたい。

 

上で引用したシネマトゥディの記事によると、元々はわずかながらセリフがあったそうだ。そこにジブリ側(高畑さん・鈴木さん)から、すべてのセリフを削ることへの提案があったようだ。しかも、その「セリフなし」へのチャレンジに特に意欲的だったのは鈴木敏夫プロデューサーの方。

 

「実は日本のスタッフの中で、セリフをなくすことを一番主張していたのは僕なんですよ。高畑さんは監督であり作家でしょ? 同じクリエイターとしてマイケルのやることを邪魔しちゃいけないというスタンス。だから、一歩引いたところで慎重に助言を出すんですね。ところが、僕はプロデューサーだから『話題にもなる!』とか露骨に言っちゃう」と苦笑い。

 さらに、もともとセリフのない映画をつくってみたかったという鈴木は、「絵に力があったら、言葉はいらないんじゃないかと僕は思っているんですよ。しかも、今回は才能あふれるマイケルがやるわけでしょ? 当然、絵に力があるわけだから、こんなチャンスはないじゃないですか。まさに夢のプランですよ」

   (太字・下線はとうふ)

 

「話題にもなる!」っていうけど、うーん。宣伝という面では、どうなんだろう。どっちかというと、大衆受けしなさそうな挑戦というか、なーんか高尚そうっていうか…、特に映画好きとかアート好きってわけでもないとうふのような凡人からしてみたら、この「レッドタートル」という作品に難しいそうだなあってイメージを与えてしまっているような気もする。

 

「宣伝」という意味ではどうなんだろう?とは思う。思いつつ、じゃあ実際スクリーンで見てみると、まあ「言葉がないこと」の威力は、たしかに理屈抜きでハートにぶっ刺さってくる。

 

語ることを放棄したから、言葉では伝えられないものがせまってくる

普段わたしたちは、言葉に頼って生きている。インターネットが普及して、ツイッターやらブログやら、特別そういう仕事でないフツーの人たちも自分たちの言葉を発信することが、当たり前になっている。まあそうでなくても、対面の会話なんかでも、言葉以外の部分から受け取る情報も多いとは言え、基本的には人と人とのコミュニケーションの骨格をなすものは言葉だし、アニメに限らず、ドラマにせよ小説にせよ絵本にせよ、基本的には登場人物の語る言葉、すなわちセリフを聴いたり読んだりすることでわたしたちは物語の展開を味わっている。

 

だけど、セリフがないこと、彼らが自分の考えや心情を、言葉では一切語らないことによって――ことばでは言い表せないものが、めちゃくちゃ鮮明にたち現れてくる。なんの個性も持たない1人の人間が、広大な世界の中でぽつんと生きているという現実。その中でその1人の人間が胸のうちに抱える孤独、安堵、幸せ、頭が真っ白になる瞬間、受容――。ことばによっては語れないそういうものが、余計な感傷抜きにして、たち現れてくるのだ。

何も語らない、何も狙っていない。そういう意味で、「レッドタートル」という作品の持つ姿勢は、ちょっと前べらぼうにディスられていた「感動ポルノ」の対極に位置すると言えるかもしれない。

 

もちろん、ただ言葉を廃するだけではここに達することはできないだろう。それが可能になっているのは、鈴木プロデューサーの言う「絵の力」、アニメーションだからこその表現である言葉以外の手段が、あまりにも絶大な力を持っているからなのだと思う。

 

これも、十分映画のあのでっかいスクリーンでぜひとも観てほしい、CMやほかの余計な情報なしに観てほしい理由の1つだ。なんだけど、でもそれだけが理由じゃない。

 

はたして、絵の力だけなのか?ぜったいぜったい映画館で観てほしい理由!!!

先にも書いたように、この物語はある男の無人島漂着記だ。

はじまりは、嵐で荒れ狂う海のシーン。この海のシーンが、いきなりすごい。美しく躍動する映像。ホンモノ以上にホンモノらしい。それは、カメラの目線から捉え切れる以上のものを捉えているからだと思う。畏怖の感情が湧いてくる。

そしてその波間に、頼りなく翻弄されもがく1人の男が現れる。周りには何も見えず、圧倒的な自然を前に為すすべもない。男は意識を失い、そして次に目を覚ますと、そこは砂浜。起き上がり、あちこちを探索する。――どうやら彼は、波に運ばれ、どこともしれない無人島に漂着したようだ。

そんなふうにして物語が始まる。

 

この冒頭のシーンで、「あれっ?」と思う。この映画は、従来のジブリ作品とは、大きく違う。「絵の力」だけじゃない。むしろこの圧倒的な、リアル以上のリアリティーを伝えてくるのは――「音の力」ではないか?

 

嵐の海の、波がぶつかり合う音。突然のスコールがやってくる前の、地響きのような音。雨つぶが若い緑にぶつかり跳ねる音。鳥や動物の鳴き声。男の息遣い――。

 

そういう耳に訴えてくるもの。 さらには、それだけじゃない。

 

はだしの足の裏に、ダイレクトに伝わる岩肌の質感。孤独を癒す、人の肌のぬくもり。水の中で感じる、極限の息苦しさ――。

 

五感で感じることすべてが、動画はもちろんのこと、音をとおして伝わってくる。目を閉じても味わえそうなほど、伝わってくるのだ。

気づけば、身じろき1つせず、息を飲んでいる。息をするのも惜しいほどなのだ。一緒に見ていた何人かの人たちも同じだったと思う。ポップコーンをかじる音、飲み物をすする音すらも聞こえない。

 

アニメーションはことばじゃない。と、そしての世界なんだ。

こんなの、いわば当たり前のことだ。だけど、「レッドタートル」は、この当たり前に忠実に、ここまで徹底的にやってのけている。

ジブリ作品として新しいだけじゃない。これこそが、究極のアニメーションではないだろうか?

 

映画館で観なきゃ、もったいないでしょ!?

美しすぎる映像を、大きなスクリーンで観てほしい。

リアルな音を、耳だけじゃなくて、あの箱のなかで、全身で感じてほしい!

 

これが、ぜったい映画館で観てほしい所以です。

ていうか、これこそ、映画館で見ないともったいない!!!

 

……肝心のストーリー?

そんなのもちろん、最高に決まってるじゃないですか!

 

もう1回煽っておきます。

マジでほかのは金曜ロードショー待ってればいいから、

どうかこれだけは見逃さないで!!∠( ˙-˙  )/

 


『レッドタートル ある島の物語』予告

 

第2部へつづく!

 

 

 

ジブリ好きが暑苦しく語るシリーズ!

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