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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

姉ちゃんという生き物【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

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実家に帰ってきている。夕方について、母とカレーを作って、父と弟が帰ってきて、一緒に食べて、お風呂に入って、今はもう布団に就いている。

ちなみに村上家名物のおばあちゃんは今入院中で、明日退院予定。

あとはもうひとり弟がいる(彼は今遠方で一人暮らしをしている)。長女・長男・次男の3きょうだいだ。

 

先日、1番下の弟が「お母さんたちが喧嘩をするのを見たことがない」と言っていて、「へえ!」と驚いた。

長女であるわたしは、何度も何度も目撃してきた。お父さんVSお母さん、あるいは、お父さん&おばあちゃんVSお母さん。でも思い返せば確かに、それらはわたしがまだ小さい時が最も過激であり、大きくなるにつれ頻度は減っていった。

その話を、カレーを作りながら母に話した。「そりゃ、途中から『言っても無駄だ』って諦めたからね笑」

 

いくら片付けてもすぐ散らかして自分では全然片付けないこと。忙しい日に限って、無断でパチンコに行っていて夕食の用意ができていないどころか、洗濯物もほったらかしだったこと。パチンコで「ありえない金額」を溶かしてきたこと。肝心な時に遊びに行っていたこと。家の建築中、大工さんに頼んで勝手に壁の色を変更しようとしたこと、購入検討している車の色について……。

 

喧嘩の原因は些細なことだったり、あるいはパチンコだったり(笑)するのだけれど、わたしが小さいときには怒鳴り合いの喧嘩もしていたなあ。お母さんがおばあちゃん・お父さんの2人に責められているときは、「おかあさんを、いじめないで!」と泣いてしがみついていた記憶もある。

 

言ってしまえば、出来ちゃった婚のお姉ちゃんであるわたしの歴史は、1人の女性が「お母さん」になっていく歴史でもあり、あるいは1人の男性が「お父さん」になっていく歴史であり、家族ではなかった人たちが「家族」になっていく歴史でもあるのだ。

 

よく、きょうだいの何番目かで性格が違う、という話がある。すべてに当てはまるわけがないし、究極には「人それぞれ」なんだけれども、確かに1番上と2番目と末っ子とで、それぞれ異なる時間を生きているし、そこに法則性があってもおかしくないような気がする。

 

「もうお姉ちゃんだからね」弟ができるとき、何度も何度も言われた。世の多くの長男長女の皆さんが言われてきたように。

弟2人は基本的に名前で呼ばれるけれど、わたしは「お姉ちゃん」と言われることと、あだ名で言われるときと、半々くらいな気がする(弟たちはもちろん100%、「姉ちゃん」)。わたしは、単に「わたし」という生き物である時間はそんなに長くなくて、随分早い段階から「お姉ちゃん」というカテゴリーも持っていたのだ。

 

そんなわたしと、100%名前で呼ばれる末の弟。

あるいは、両親の大喧嘩を知っているわたしと、知らない彼と。

同じきょうだい、と思っていたけど、見てきたものは随分違うんだろう。そう思うと、3きょうだい、おとなになった今だからこそ、いろいろ積もる話がしてみたいなあ。姉ちゃんは、そう思う。