とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

戦争を知らない僕たちの戦い【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

うちのおばあちゃんは、戦時中わたしの地元に疎開してきたらしい。元々はシブヤの蕎麦屋の娘だったのよ、シブヤが一体何なのかよくわからないときから聞かされた。

おばあちゃんは同じ話を何度もする。ボケてるわけではない。ただそのとき話したいことを話しているだけなのだ。「もう聞いたよ、その話」と言い返したところで、話は続く。観念して聞いてあげたほうがいい、と長女のわたしはきょうだいの中でいち早く学んだ。

 

おばあちゃんが繰り返し話してくる話のレパートリーは、2つに大分される。1つは、死んだおじいちゃんの話。わたしのおじいちゃんに当たる人は、お父さんが高校生の頃に亡くなっている。ガンだそうだ。子どもにはものすごく厳しかったらしく、何も知らない子どもであるわたしは不謹慎ながら「そんなに厳しいおじいちゃんが生きてなくてよかったー」などと呑気に思う。

もう1つは、昔ならではの苦労話。これは、わたしがお手伝いをサボったり怠けたりしているときによく発揮される。あとはお母さんが外で働いていて平日の家事はおばーちゃんがしなくてはいけないことへの愚痴を言うとき。「あんたらはいいのう、恵まれてるのう」って。「昔はこーんな機械なんてなかったから、洗濯板で手で洗ったんやざ。アカギレてたいへんやった」とかのマシーン系の話は鉄板だ。あとは「昔は家のことをせなあかんかったから勉強も十分にできなかった」とか。「ゲームばっかして、昔はそんなんなかったのに」こんなことを言って、我が家に親戚のお下がりのスーパーファミコンが来たとき(世間的にはプレイステーションが出た頃)1番「スーパーマリオブラザーズ」にハマっていたのは、おばあちゃんだったのだけれど。

 

普段は戦争のときの苦労話はそんなに出てこない。でも「終戦から●年」みたいな特集番組がテレビで流れるときは、涙ぐんで見ていた。

「あんたらは恵まれてるざ」「おなかいっぱい食べられるし、学校にも何不自由なく行けて」

 

戦争を知らない。そんなわたしたちに、学校は、大人は、「戦争を忘れてはいけない」と言って、戦争の悲惨さを教えてくれる。

はだしのゲン二十四の瞳、戦時下のドラマや映画、沖縄の修学旅行。個人的に、沖縄のアメリカ軍の上陸を経験したおじいさんの語りは、なんだか圧倒されてしまった。終わったあと、「あのおじいさん、ヤバかったな」などと話したけど、ああいうのは、一種の照れ隠しだ。

 

生命を、自由を奪われてしまう恐怖。

わたしたちは、何も知らないけど、でもこういうことは絶対に繰り返したくはないな、と思う。そんな不幸を、他人にも与えたくはないと思う。別にアンケートをとったわけじゃないけども肌感覚で思う、同年代の人たちは大抵そう思っている。大丈夫、大人がくれた平和教育は功を奏している。

 

希望の高校に合格したとき、おばあちゃんは言った。

「ばーちゃんは、中学までしか行けんかった。そこからは家のために働かなあかんかったでなあ」

「高校行けるのも、お父さんとお母さんが一生懸命働いてくれてるからやで、ありがたいことや」

 

 

わたしが英語の教科書を開いて音読をしていると、おばあちゃんが必ずしてきた話がある。

「お!がんばってるな!」

「ばーちゃんも、ちょっとは英語、わかるんやざ!月曜日は、マンディ!やろ?」

高校生のわたしは、はいはい、と聞き流す。単語を覚えればいいってもんではない。

「こうやって覚えたんや。月桂冠を、のマンディ!ねずみが出てきて、チューズディ!」

そこから先はちゃんと聞いてなかったから覚えていない。でも「月桂冠をのマンディ」だけは確実だ。おばあちゃんいわく、自分たちで覚えるために作った言葉遊びではなくて、学校の先生が大真面目にそれで教えてくれたらしい。

 

日本は平和だ。今の子たちは自由を手にしていている。恵まれている。

そんなことが英語の勉強だと信じて、楽しく大真面目に勉強していたおばあちゃんのことがかわいそうだな、と思う。

でもさ、ばあちゃん、英語ってそんなもんじゃないんだよ。これからはグローバル社会なんだって。だから、英語はできないと困っちゃうんだって。生き残れないんだって。「月桂冠を、のマンディ!」なんて言ってられないんだよ。おばあちゃんたちもしんどかったのはわかるけど、わたしたちにはわたしたちの、別のしんどさがあるんだから……とも思った。

 

そう思っていたわたしは、順調に高校を卒業し、東大に行って、あとはもう安泰だと思っていたけど、そうでもなかった。グローバル社会がなんだ、英語力がなんだってんだ。「恵まれてる」なんて言われてきた「自由」ってヤツの方が、よっぽどしんどい。何に追い込まれているわけでもないけど、なぜか追い込まれている気がする。正体がわからない不安がある。なんだってできる。何者にもなれる。でもじゃあわたしは、何者なんだろう。何になったらいいんだろう。

選ぶことができるということは、選ばなければ前に進めないということでもある。なんだよ、自分の人生を乗りこなしていく方が、よっぽどしんどいじゃないか。

 

「こうしたい」「こうなりたい」口でそう言ったり、思ったりするのは簡単だ。でも、いざ動こうとすればわかる。自分の足の重さが。どうやったらそこにたどり着けるのか、実現のためのプロセスを考えていくことの必要性が。どうしたら、自分の足が自然と行きたい方へ動き始めるのかを知ることの大切さが。

 

 

今の日本の空気は戦争の始まる前と似ている、と言う人がいる。9条を守ろう!子どもたちを戦場に送らせない!と声高に叫んでいる人がいる。もう二度と繰り返してはいけない、と言う。

 

そんなことはわかっているのだ。わかっていて、それでも行き詰まっているのだから。

 

わかっているからこそ、行き詰まっているからこそ、叫ぶだけではダメなんだ。どうしたら、人間であるわたしたちが、自然とその方向へ向かって行けるのか、考えて、手と足を動かさないといけないんだ。

 

わたしたちには、選択できる自由がある。

でも、自由なわたしたちには、わたしたちのしんどさがあるんだよ。

 

 

おばあちゃん。

ばーちゃんがそのへんのことをちゃんとわかっているのかどうかは、かなり怪しい。でもね。

「がんばってるなら、それでええ」

そう言ってくれるなら、それで十分だ。

わたしも、おばあちゃんたちの苦労を、しんどさを、できる限りちゃんと分かってやっていこうと思うよ。

 

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