とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

長いモノサシ、大器晩成という希望【時々書きたくなるエッセイのようなもの】

人のブログ運営報告なるものはついつい見てしまうものである。

開設から3ヶ月でどれだけの人が来てくれるようになったとか、100記事を書いてどんなことがわかったとか。見たい見たくないとかそういう問題ではなく、そういうタイトルがあれば必ずと言っていいほど見てしまうのが人のサガ。そしてタチの悪いことに、ほぼすべてのブログ報告を見るにつけわたしの心に浮かんでくるは、嫉妬の感情ばかりなり。

 

読者が何人、PVが月にどれくらい、どの記事がバズって、そして収益はいくらか……。

 

何クソと、彼らにあって自分にないものを見つけて埋めていく、そういうことも悪いわけではないでしょう。しかしまたこれもタチの悪いことに、意地っ張り・負けず嫌いでおまけに一点集中・猪突猛進なわたくしは、数字を追いかけ始めると数字しか見えなくなってしまうと思うし、24年生きてわかったけど、どうやら劣等感をいいエネルギーに変換する爽やかさもわたしは持ち合わせてはいないようなのです。

 

その代わり、集中の焦点をあてるのは当然ホルモンです。「あなたがしたいことは何?」なんて問われても実際わかりません、でも手が勝手に伸びるもの、足が勝手に向く方向、知らず知らず時が経ってしまうもの、そういう無意識が求めていることを、「こっちかしら?」「あっちかしら?」とダウジングのように探り当てるのです。甘美なものをひたすら追究して極めるのです。それを思い出せば、意地っ張りで負けずい嫌いは少なくとも顔を引っ込めます。そうそう、当ブログの当初からの目的はこれなのです、よかった、ブログのタイトルにしておいて。

 

そう思って書いているとわかってきたことがあります。それは、「書きたいことを書きたいように書く」、これが簡単なようでいて実は存外、随分と難しいことだということです。

第一に自分のホルモンが出てきやすいよう、適度に優しく・適度にプレッシャーをかける必要があります。第二に、ホルモンなのかただの見栄なのかそれとも根深い怯えなのか、これはなかなかわかるものではありません。書いてみて、ああ違ったなあと思うこともあるし、違ったなあと思ったことが再度「いやあれでよかったのだ」と思うこともあります。

そして第三に、いざこれを書きたい!と思っても、ホルモンに筆が追いつかないのです。スピードの話ではありません。自分の持つ言葉で捉え切れるかとか、この構成はこの内容を伝えるに然るべきものなのかとかそういうことです。「これを書きたい」というモヤっとしたものを満足させるには修行が必要。修行のつもりで、書いては消し、書いては消し、「今の自分にはこれよりどうしようもない」という諦めがなければ到底書ききることなどできないのです。

 

そしてわかるのです。「こりゃあ、どうやら一生モンの仕事だな」と。

一生書き続けたとしても、満足に到達できるかどうかわからないのだな、と。

 

さて、これまた24年生きてわかったことなのですが、「やってみないとわからない」。これはわたしがこれまで生きてきて知ったことで何よりも真理だと思うことです。

 

そう思えば、「自分の求めるものへの道程は一生モンである」その事実は絶望ではありません。なぜなら楽しいから。自分が書きたいように書いてみて、人にそれを見てもらうというのは、楽しい。こんなに楽しいことを一生かけて遊ぶことができるのかと思うと、最高のゲームを手に入れた気分なり。

 

「やりたいようにやる」「自分らしく生きる」これらも、言われると、なるほどそうしたらいいのね、と思うのだけれど、この道もやはり簡単なようでいてとっても大変。自分にハッパをかけることと、自分を理解することと、そして手を動かし足を動かし実現していくことという、1つ1つどれもなかなかに難しいことが求められるためです。

 

大きな山ほど、裾野は広い。わたしはまだまだ0.0000何合目かにいるんでしょう。

大事なのはやってみること、続けること。収益よりもホルモン派の皆様、長いモノサシ、大器晩成の希望を持ち、どうか上を向いて歩いていきましょう。

と、自分のつまらぬ嫉妬心を抑えるためだけにこれを今書いておりまする。