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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

【トトロ考】このへんないきものは、わたしたちのそばにだっているのです。たぶん。

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もののけ姫」と「となりのトトロ」は、昔家にビデオ(DVDのない時代…将来おばあちゃんになったら驚かれるんだろうなあ)があって、小さい頃から何度見たかわからないくらい。ちなみにほんとうにわたしが小さいときにはゲームボーイポケモンもなかった(スーパーファミコンはあったけど買い与えられてなかった)。だから、両親は共働き、おばあちゃんが畑か工場に行っていて、友達にも会えない、そういう退屈なときは決まってセーラームーンもののけ姫がトトロを見ていた。

 

うちの周りはトトロやまっくろくろすけが出てきてもおかしくないようなド田舎。「おじゃまじゃくし」はそのへんの田んぼに当たり前にいた。トカゲを見かけたら近所の子どもで一斉に石を投げつけた(切れた尻尾が踊るのを見るのが楽しくて)。トトロは見なかったが、野良猫を追いかけていったらそういう世界に行けるんじゃないかといつも真剣だったけど、必ず見失ってしまう。

 

大学時代金曜ロードショーで見たときに驚いた。そんなに馴染み深いはずのトトロなのに、意外と細かなストーリー展開を、覚えていなかった。この場面の後にこの場面が来て、とか、このセリフがあるから次はこう展開して、とか。今もこれを書いていて、あんまりしっかりとは覚えていないなあと思う。そういう意味では、あまりに自分自身とトトロの自由な物語を夢想しすぎていたせいなのかもしれない。

 

小さい頃はそういうふうにトトロを楽しんでいた。

 

さて、改めて「おとな」になって、トトロを見てみる。トトロは、子どものときにだけ出会える生き物。それは、「想像力豊かな子どもだからこそ見えるものだから」そんなふうに思って、大学時代は自分がとうとう「トトロの見えない大人」になってしまったことを、寂しく思いながら、映画の外側から物語を楽しんで見ていた。

 

でもここ最近、仕事を辞めてぷらぷらと浮草暮らしをしていて思うのだ。トトロ、いるんじゃない?今だって、まだ会えるんじゃない?

 

 

「メイちゃんってホントガキンチョだなあ」

小さい頃から思っていたことだ。

好奇心のままによくわからない場所へ突っ走っていっちゃうし、病気でお母さんに会えなくて寂しいのはサツキちゃんも一緒なのに、わーわー泣き喚くし、その上勝手に行動して迷子になっちゃうし。

わたしは、そんなことは一度もしない子供だった。弟と違って迷子になったことは一度もないし、勝手な行動もしない。遊ぶときは友達がしたいことを聞いてあげる。欲しいおもちゃがあっても、誕生日やクリスマスまではちゃんとガマンする。自分のワガママが通らなくて泣き喚いたことなんて、まったくもって記憶にない(実際はどこかでやってるかもしれないけど)。だって、いい子にしてないと、お母さんたち、困るでしょ?だってわたし、おねえちゃんだもん。

とはいえ、「ほんとは欲しかったのにな」「ほんとはやりたいな」こういう気持ちを押し隠せるような高度な芸当は子どもなだけに持っていなかった。だから気づけば勝手にしょぼくれているわたしに母は苛立っていた。「ほしいものがあるならちゃんと言わないとわからないでしょう!」って。こんなふうに怒られる子どもって、どれくらいいるんだろう。わたしは、いい子にしているはずなのに、どうして怒られるのかわからなくてただひらすらビクビクしていた。

今思えば、19でわたしを産んで田舎に嫁いできた母も、仕事も家庭も子育てもあるいは自分のことさえも、何もかもわからないことだらけで不安だったのだろうなあと思う。それでも、「いいお母さん」でいなくちゃと、一生懸命だったんだろう。

 

トトロは、「いい子」なサツキちゃんのところよりも先に、メイちゃんの前に現れる。自由奔放で、子供らしく自分の好奇心のまま、感情のままに突っ走るメイちゃんのところに。

 

でも安心。後からサツキちゃんのところにもやってくる、メイちゃんを連れて、傘を持ってお父さんの迎えに行ったとき。待てど待てど帰ってこないお父さん。眠くなって眠りこけちゃったメイちゃん。いくらいい子でしっかり者のサツキちゃんも、内心不安だったんじゃないだろうか。それでも暗い雨の中サツキちゃんは待ち続ける。そんなときに、トトロはやってくる。

 

今になって思う。きっとトトロは、まっすぐ、自分の心が向かう方向に躊躇なく駆け出していったり、自分の気持ちが揺さぶられるくらい不安になってもそこに立ち続けようとしたりーー「わたしはこうしたい」自分の意志をまっすぐ、ひたむきに追いかけているとき、トトロは現れる。

 

いい子でお姉ちゃんな自分は、どちらかといえば、サツキちゃんタイプだって思っていた。メイちゃんみたいなガキンチョじゃないぞ、って。

でも、今思えば、わたしは、周りの目を気にして「いい子」をやって怯えていたわたしは、そんなふうにひたむきに、自分の気持ちを追いかけたことはたぶんなかったなあ。

 

野良猫を追いかけたときだって、そうだった。服が擦り切れたり汚れすぎたりしないように、近所の人が困ることがないように、変なところには入らなかった。でもきっといつか、自分を待っていてくれてどこか素敵なところに誘ってくれるそんな野良猫がいて、そいつに出会えるときが来ると思っていた。

 

初恋も。恋の告白も。勉強も。部活動も。どの大学に行くかも。就職活動をすることも。

 

「お母さんに会いたい」とか、「トトロお願い!メイを助けて!」とか、その気持ちに真っ直ぐに、失敗を恐れずに自分のできる限りの精一杯の力で、走ったことは、なかったのだ。子どものくせに。

 

ボロボロになるまで「いい子」をやって、仕事を辞めて、ようやく、先輩の目とか、入社の時に誓った目標とか、親の心配とか、入社1年で仕事を辞めちゃう自分に対する一般的な評価とか、どうでもいいなあって思えた。そんなことより大事にしてもいいことがあるんじゃない?

 

きっと「子ども」とか「大人」って、年齢じゃない。

「いい子になりなさい」がいつの間にか「大人になりなさい」になって。「いい子」は「悪い子」って選択もあったけど、あたかも「おとな」は「大人」なんだから、それ以外には道はないみたいに言われて。でも別に、常識的な「大人」に当てはまらなくたって、生きていく方法はあるんじゃないかなあ。たとえば自分に「大人」になってまで守りたいものができて、自分がほんとうに「大人」にならなきゃって思ってから「大人」になったって、いいんじゃないかなあ。

 

24だけど、トトロが見えないかもしれないけど、別にいいなあって思っている。人に決めてもらうのを待つんじゃなくて、人がどう思うかを見てから動くんではなくて、自分を生きようと思う。まずは書いている。それから働こうと思っている。そのうちいつの間にかトトロが会いに来てくれている気がする。

「夢だけど!夢じゃなかった!」そう言えるときが来るような気がするし、でも別に来なくてもいいなと思っている。でも、間違いなくトトロはいる。たぶん。

 

24の夏はこんなことばかり考えて、書いて、でもそろそろ動き出したくてウズウズしている。

 

映画の夏?…いやいやジブリの夏でしょう?今夜はコクリコ坂!∠( ˙-˙  )/ひゃっほー

 

 

 

■今年の夏は「ジブリの大博覧会」も!

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今週のお題「映画の夏」