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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

うつの人を応援したい人へ。なぜうつの人に「がんばれ」と言ってはいけないか?【とうふ持論】

とうふ持論 心が折れた人の役に立ちそうと思うもの

とうふです。このブログに、「心が折れてしまった人のためにできること」という検索ワードでたどり着いている方がいた。それで思い出したことがある。

 

大学時代のあるとき、大好きな先輩・育子(いくこ)さんがうつになったと聞いた。育子さんは、うつになる前は、運動部で部長を勤めていた。フットワークが軽くて、それでいて落ち着きもあってわたしのような根暗とも楽しく話したり聞いたりしてくれる、そういう人。本当に素敵な人だ。(これは、うつになる前もうつになったときも、それから克服された今も。)

 

そんな育子さんがうつになったと聞いて、びっくりした。告白されたときには、それでも告白できるほどにようやく、立ち直ってきていたのだろうと思う。わたしはびっくりして、それで、育子さんの心境を、苦しさを思うと、早く元気になりますように!と祈らずにはおれなかった。そして、そういう気持ちを、ぜひとも育子さんに伝えたかった。あなたを応援しています、と伝えたかった。

 

うつの人には「がんばれ」という言葉はよくない、というのは知っていた。

でも、そういうとき、「がんばれ」という言葉以外で、どうこの気持ちを伝えたらいいのか、全然わからなかった。どうしていいのかわからない。無力な自分に困惑し、悲しくなった。

 

「がんばれ」って言いたい気持ち

別に「頑張ってほしい」という意味合いで「がんばれ」と言いたいわけではなかった。ただ、「頑張っているあなたを応援しています」「戦っているあなたの、健闘を祈っています」そういうニュアンスの声がけを探した結果、「がんばれ」という言葉がぴったりだと思った。うつの人のためを思って、あなたが大切だよと思って、だからこの言葉を言いたい。発信側としての気持ちは、それだけのことなのだ。

だから、「なぜ、うつの人に『がんばれ』って言っちゃいけないんだろう」。そう思っていた。

 

うつの人は、あたたかい言葉の真意を受け取れない状態にある

厳密に言えばうつってほどではないのだろうけれど、わたし自身、心がポッキリ折れてしまった。それで、「これは確かに、『がんばれ』って言わない方がいいな」と思えるようになった。

それは、自分の過去の状態について書いたときにはじめて気づいたこと。

 

1年目の終わりの方、実はいろんな方から「大丈夫?」と声をかけてもらっていました。きっと、なんかちょっと無理してるわたしを見て心配してくれてたんだと思うんです。しかし当時のわたしは、(無自覚でしたが)仕事の鬼と化していたので、この「大丈夫?」という言葉を、違う意味に捉えていました。すなわち、「締切までに仕事終わりそう?大丈夫?」「それ、あなた一人でできる?大丈夫?」って、そういう意味だと思っていたんです。わからず屋のわたしなりに、「『大丈夫?』って聞かれてしまう現状は、大丈夫じゃないんだ。傍から見てて大丈夫そうじゃないから、『大丈夫?』って聞かれてしまうんだ」というのはわかっていました。だから、焦りました。自分の今の仕事ぶりではだめなのだと。「みなさんに『あいつに任せておけば安心だ!』と思ってもらえるように、もっともっと頑張らなくては!!!!」と、ますます焦っていったのです。

 

皮肉にも、「大丈夫?」という、おそらくは「無理してないか?」と配慮してくれた言葉が、より一層、わたしを無理する方向へ駆り立てているという悪循環になってしまった。今思うと、善意でわたしを思ってくれた方々に、申し訳ないなと思います(が、同時に、いますぐに同じ状況に立たされたとしたら、まだ当時の自分と同じように感じてしまうだろうなとも思う)。

※もとの記事はこちら

無理していることに気づかずパンクしてしまう自分を変える。2つのアプローチ - とうふのホルモン

 

「がんばれ!」どころではない。「大丈夫?」である。

「大丈夫?」という言葉でさえ、こんなふうに捉えてしまうような、そんな心の持ちようなのだ。

 

うつっていうのは、「真面目な人がなりやすい」というけれど、要は、「自分の限界を超えて無理して頑張り続けた結果、心身が壊れてしまった状態」だと思う。だから、本来であれば休まなくちゃいけないのだ(それも、壊れてしまっているのだから、十分に長い療養が必要だ)。しかしうつの人は大抵、「もっと頑張りたい」と思っている。「もっと頑張らなくちゃいけないのに、どうして私は頑張れないんだろう」と自分を責めてしまう。

 

うつとの戦いは、「頑張りたいと思ってしまう自分」との戦い。自分の体を休めつつ、適度に頑張るということを身に付けるための、戦いなのだ。

 

「がんばれ」って言葉の真意は、この【うつとの戦い】について、応援している、健闘を祈っている、ということ。別に、「もっと気合入れろ」とか「サボるな休むな」なんて言ってるわけではない。

うつじゃないときには当たり前にわかるのだ。本来であれば、わかることなのだ。そのはずなのに、真意がわからない。自分を追い込む方へ、追い込む方へと捉えてしまう。それが、「うつ」という病気なのだ。

 

それでね、けっして誤解して欲しくないのは、「がんばれ」って言葉に込めたいあなたの真意、すなわち、あなたが「応援したい」と思っているその気持ち、その気持ちはとっても嬉しいんです。その気持ち自体が、嫌なわけじゃないんです。

「うつの人に『がんばれ』と言ってはいけない」この言葉は、けっして、あなたの好意をはねのけるためにあるというわけではないのです。それだけは、どうか知っていてほしい。

 

どうしたら気持ちが伝わるか?

さて、どうなると、上記のような状態の人にとって、じゃあ、どんな言葉だったら、励みになるのだろうか。どうしたら真意が伝わるのだろうか、という問題になる。

 

これは、依然としてやはり難しい。その人の個別具体的な状況や、あなたとその人との関係性によっても正解は変わってくるだろうから。

ただ、1つ言えるのはうつとは「自分の限界を超えて無理して頑張り続けた結果、心身が壊れてしまった状態」なのであり、うつとの戦いは、「無理なのに頑張りたいと思ってしまう自分」との戦いなのだ、というのを、知っているだけで、その人に接するときの心持ちが、そして言動が、違ってくるんじゃないかなということ。

 

うつは、自分のそれまで築いてきた価値観や世界観が大きく変わる・変えるときでもあるから、残念ながら、あなたの言葉ひとつで劇的に影響を与えて元気になってもらえるなんてことは、ないんだと思う。結局は、自分自身と徹底的に向き合う、そういう時間なのだと思う。

だから、見守る人も、どうか長い目で見てほしい。本人が焦ってしまわないように、「焦らなくていいんだよ」「無理して前向きにならなくていいんだよ」「あなたが自然に前を向けるときは必ず来るから、それまでじっくり待っているから大丈夫だよ」ということを、言葉だけじゃなくて、あなたにできる範囲のことで、伝えてほしい。劇的な変化が見えなかったとしても、それだけで随分、違うと思うのです。

 

ぼんやりしてしまうけど、これが今のところのわたしの持論です。