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とうふのホルモン

ホルモンのままに。主成分はエッセイ。

【自己紹介】いい子を脱皮して、わがままに、ホルモンのままに生きるのだ。

自己紹介 近況

こんにちは、はじめまして。村上とうふです。

田舎の不器用で真面目ないい子ちゃん。(だけど直感を大事に生きていたい恋愛至上主義者。)のはずが、「乗りたい乗りたい」と思っていたはずのレールからいつの間にか脱線して、ニートになっていた。

このブログは、仕事に躓いてやめて、「これからは、いい子ちゃんを脱皮して正直を極めて生きていこう」って思って、書くことが好きだから、まずは書くことからはじめようと思ってはじめました。

 

ブログだし、自己紹介はいるだろうと思って、「田舎の不器用な真面目ないい子ちゃん」の遍歴を書いてみました。

……長い。長いです。

書いてみて思った。自己紹介というより、自分でこのブログの立ち位置を書きながら考えたいというのが本旨のようなので、長いです。

とはいえ、まずは筆が進むままに書いてみたものを、そのままのせることから始めようと思います。

 

鈍感不器用いい子ちゃん遍歴「わたしには、勉強しかない!」

生まれ・育ちはド田舎地方某県のなかの、さらにド田舎。思えば長いこと、狭い世界を生きていた。

 

ごはんを時間内に食べ終われない、折り紙をやれば紙が破けてしまう、オニごっこではオニから一生脱却できない。学芸会の劇ではかぐや姫役をやりたかったにも関わらず、ほかの女の子たちの勢いに勝てず、かぐや姫役に手を挙げることもなく、余ったおばあさん役を務める。スポーツ好きな両親が、運動会の日の夜、「この子には、過度な期待はしないでおこう」と話し合ったという、そんな落ちこぼれ幼児。

 

が、学校というフィールドで、「自分はどうやら勉強ができるらしい」ということが発覚。「頭がいい」という謎の理由で学級委員に推薦されて引き受けたり、休み時間は図書室に通い、時間があれば本を読むことに熱中。すると。

だめだめな奴だと思っていた自分が一転!いろんな人から褒められる!

それが嬉しくて、典型的な、マジメちゃん街道へ突き進む。

 

そんななか、成績表を見せて褒めてもらえる快感から、「成績表をすべて◎で埋める」という野望に燃えていたわたしは、「わたしのお姉ちゃん、バレーはじめて体育の成績あがったらしいよ!」という友人の会話を小耳に挟み、苦手な体育の克服のためというただその1点のみでバレーボールをはじめた。(スポーツ大好きな両親は、あまり自分の意見を言わないわたしが、突然、しかも苦手なはずの運動を「やりたい!」と自分から言い出したことがとても嬉しかったらしい。)

真面目に練習するものの、1年間1本もサーブが入らないという運動音痴っぷりを発揮。辛くてやめようとしたものの、「続けることが大事」という両親の教えのもと、(そして田舎ゆえに他に何かやるという選択肢も浮かばず)6年間続けた。が、嫌々ながらも真面目に継続して得た結果として「こりゃわたしには向いてないわ」「やっぱり、わたしには勉強しかないんだ」というシンプルな考えに至る。

 

高校はオープンスクールの感想:「青空が似合う気持ちいい校舎だったから」という理由で、県で2~3番手の進学校に進学。

(こういうあたりに、「マジメに県1番のとこでガリガリ勉強したくない」「直感に逆らわず生きる」みたいな、小心者のくせにレールに乗りきれない素質がちらっと垣間見える。)

 

1学年1クラス、保育園から中学校までメンバーの変わらないド田舎から、1学年11クラスというマンモス校に行くということにビビリ、また進●ゼミから届く漫画に感化され(「高校の勉強は難しい!!」)、小心者のわたしは、高校入学前の春休み、全力で宿題と予習に取り組んだ。

結果、新入生テストでまさかの学年1位に。

これに勢いづいて「勉強も部活もどっちも中途半端になるくらいなら、何か1つでいい、誰にも負けないっていうものがほしい。わたしの青春、勉強にかける!!」と本格的に決心するにいたる。

 

「普通」の女の人はすべからくOLになるとばかり思っていた

やはりうっかり勉強ができてしまったことから、ばりばり稼ぐキャリアウーマンになるぞー!と、東京大学に現役進学。

 

「うっかり」というのも、高校時代、超必死に勉強したかというとそうでもなく、「やりたいように気ままに楽しく勉強やってたら学年上位はキープできた」という感じだったため、実は高校では、入学して数ヶ月経つ頃には結構退屈を持て余していた。

 

そこで、勉強の妨げにならず、かつ中学まではなかった部活をしたいなと思っていたところに、「文芸部」という部活を知る。(ようは、それぞれ好き好きに小説や俳句や詩など文芸作品を自作して、年に数回、部誌として発行するという部活。)

 

ずっと本は好きだったが、なぜかそれを、「人が書いたもの」という認識をあまりしていなかった。作家という生き物は、既に死んでしまった人とか、まだ生きてたとしても普通とは違う特別な才能を持った人とかだと思っていた。

だから、そこではじめて、

「そうか、本って、自分で書いてもいいんだ!!!!」

と目からウロコ、大衝撃を受けた。

 

何編か、短い小説を書いた。書くことは楽しかった。自分で物語を紡ぐことができるっていうのは、そりゃ、大したことは書けなかったけど、でもわくわくした。

 

けれど、「作家なんてなろうと思ってなれるものじゃない」「作家になって食べていけるのはほんのひと握り」といったまわりの人が教えてくれた一般論と、

勉強のようにわかりやすく順位が出るわけでもないのにほかの部員の子たちの文章を読んで心に浮かぶ嫉妬心とから、

「小説家になるには、どうしたらいいだろう?」と考えることなく、最初から、無意識のうちに「わたしは小説家にはなれない」と結論を持っていた。それが諦めであるという自覚すらなかった。「普通のOLになれたら、それでいい」「勉強ができるわたしは、男性同様、ばりばり稼ぐんだ」とばかり思っていた。

 

あらゆる選択肢のなかから「やりたいこと」を選ぶために東大にきた

「夢とかやりたいことは、大学に行って探せばいいや~」と思っていたので、とりあえず興味を持ったことにちょこちょこ手を出す大学生活。特定のサークルなんかには入ったりしなかった。確かわたしが入学した頃に、週刊誌か何かで「東大からの人」「東大までの人」なんて見出しの記事が出ていたと思うのだが、意気揚々と意識だけは高かったわたしは、「東大までの人にはならんぞ!!」と、正直、テニサーとかに入る人たちを馬鹿にしていた。「せっかく大学に来たんだから、大学でしかできないことをやればいいのに!」って。(今となっては、テニスサークルだって、そこでしか得られないものがたくさんあると思ってる。)

 

いろんなことに手を出してみて、なんでもやってみたら楽しかったし、おもしろかった。ただ、なにか1つ、大学生活全部をかけて「これ!!」と打ち込みたいものがあるわけでもなく、「あれも楽しい、これもおもしろい」って、ぷらぷら、ぷらぷらするのが楽しかった。

でも一方で、焦りもあった。自分には、一体何ができるんだろう。既にやりたいことが明確だったり、勉強だけじゃない個性を持っていたり、単純に自分より優秀だったりする同期にたいして、表には出さないものの、常にどこかで嫉妬の感情を抱えていた。

 

「わたしには勉強しかない。」と思って必死でしがみついていた命綱はぷっつり切れていた。だって、東大にいたら勉強ができるのは当たり前。それどころか、自分よりできる人の方が、大勢いるのだ。その上、自分より「できる」人たちの多くが、勉強だけではなく、それ以外の個性を持っている。

わたしは、表面上は楽しんでいても、内心ちっぽけなプライドはずたずたで、そういう自分を受け入れてあげられなかった。

思えばこの頃から、好きだったはずの読書が苦痛になり、楽しいから読むのではなく、「役に立ちそうだから、読まなきゃ」と思うようになっていた。

 

悶々としながらも、しかし、大学3年時、運命の出会いが。某広告代理店とコラボしたゼミ。そこで出会った、ブランディングとかデザインとかイノベーションとかワークショップとか。インプットだけではない、自ら考え、アウトプットするということ。楽しく真面目に手を動かしながら考えるということ。人と考えを共有して、深めていくということ。

そういうものすべてに、ひっっさしぶりに大興奮した。自分にドンピシャ、これ、おもしろい!っていう小説に出会ったときと、同じくらいの熱狂。

「そうか、『考える』って、こういうことなのか!!!」

って、はじめてわかった。目からウロコ。久しぶりに、わくわくして心が躍った。おもしろかった。

 

そして間もなくやってきた、就職活動シーズン。「よくわからんけど、あの授業でやってたみたいなことがやりたいなー」という、至極ぼんやりしているのにも関わらず、厄介なほどに確固たる思いを持っていた。

 

まともに選考を受けたのは、例のゼミをやっていた広告代理店1社のみ。だって、それ以外の選択肢に、わくわくしなかったから。わくわくしないのに、「御社が、第一志望です!」って言えなかったの。そういうもんだって思って、言おうとしたけど、言えなかった。

 

それでも、「御社が第一志望です」って、ほかの会社でどうにか「言おうとした」のは、薄々、わかっていたから。

「わたしが、第一志望の会社に受かったとして、わたしに何ができるんだろう」

あの会社にいる人たちに強く憧れたし、尊敬するし、こんなふうになりたいとか、思ったけど、「でもこんなふうにはなれない」と感じる部分もあった。

だけど、それ以外に何を見たらいいか、わからなかった。自分がわくわくすることを、どう「仕事」に結びつけたらいいのかわからないけど、「でも、もう大学4年生なんだから、就活しなくちゃ」って、焦った。

 

だって、なんのために東大に来たかって、いろいろあるけど、【ここに来たら、なんだってできる】そんな気がしていたから。大学で、いろんなものに触れて、その中で自分のやりたいことを見つけて、それを選んで生きる。やりたいことを見つけたとき、わたしを阻むものがなにもないように、そのために東大に来たんだって、この頃のわたしは、頑なに信じていた。

 

その第一志望の1社は、奇跡的に最終選考までは進んだものの、そこにどんな理由があったかにせよ、結果としては自分の思っていたとおりそこまでだった。

 

就活失敗と、すこーし脱線してみた1年間。

落ち込むも、冷静に、そりゃ、そうだよなあと思う自分もいた。

「広告を作りたいというか、ワークショップをつくりたいんだ」「それって、別に、就職って形にこだわらなくても、今やりたいならやってみればいいんじゃないか」と思い直し、留年を決意。その当時幸運にも、たまたま乗りがかった船で、知り合いのやっている団体でワークショップ設計をする機会を得ていた。だから、せっかくだから、1年間は「就活」のことは考えず、目の前のやりたいことを一生懸命やってみようと。今から思えば、わたしにとっては、はじめて、がむしゃらに自分がやりたいことをやった1年であり、そして同時に、自分のためだけではない誰かのために夢中になって駆け回った1年間だったと思う。

 

1年を終えて、「『考える』ことの楽しさを伝える人になりたい」と思うようになった。

それから、会社とか職種にこだわらなくたって、「自分がこういうことをやりたい!」って想い続けて行動しさえすれば、どこにいたって可能性はあるはずだ、と考えるようになった。

 

ただ、このまだできたばかりの団体で、当時の自分がばりばり価値を生み出して貢献できる自信は、やっぱりなかった。そして、「仕事」って、「働く」って、いったいどういうことなんじゃろう。この問いへの、一般的な解を知りたかったというのもあり、再度就職活動をしました。

 

そして、教育関連の企業を受け、関西の某子ども関連企業に無事内定。

東京の地を離れ、1年間そこで、真面目に楽しく仕事に取り組んできた。

 

身体を壊して、あらためて思う。「やりたいことをやる」って何だ。

1年やってみて、浅いかもしれないけど、「仕事ってこういうことなんだなあ」「働くって、こうなんじゃなあ」となんとなくわかってきた。退屈で地味な仕事にも全て意味はあるし、与えられた役割をきちんと全うすることが、案外難しくて、でもその積み重ねがいかに大切かというのがわかった。「甘くないけど、やりがいあるぞ、頑張るぞ、頑張らなくちゃ」と、思ってた。頑張ってたつもり。

 

でも、どうやら、ほかの人と同じようにやっているだけでも、よくわからないけど、自分にとっては無理がかかっていたらしい。

 

「このまま続けたら、やばいかもしれない」

「休んで調子を整えたら、戻って、また同じ目標に向かって頑張れるかというと、そうじゃない」

「環境も、わたし自身の考え方も、もっと根源的に変えなくちゃ、楽しくない」

 

あとやっぱり、東京にいる好きな人と1秒でも長く一緒に生きたいなあ、と思った。それで、やめちゃおうと決意。勢いのまま、長期の休職とか通り越して、退職を決意した。

 

 

わたしが思う、「やりたいことをやる」って、どういうことじゃろう。

2度目の就活前に思った、「考える楽しさを伝える人になりたい」って、つまり、こっちに行きたい!って方向性、これは、今も変わらずあるんだけれどね。

どうやら、わたしの求めてる「やりたいことをやる」のって、それだけじゃまだ足りないみたいだ。

 

そんなときに、たまたま本屋さんで、宮下奈都さんのエッセイ集『はじめからその話をすればよかった』に手が伸びた。まえがきを読んで、「そうそう、そういうことだ!」って、また、目からウロコが落ちた。

 

ホルモンのせいです、というと人は笑う。

「どうして作家になろうと思ったのですか」

という質問に対してだ。作家になろうと思ったことはぜんぜんなかった。ただ猛然と小説を書きたくなっただけだ。ホルモンのせいです、としかいいようがない。

(中略)

 友人にも、妊娠したら突然パクチーを食べたくなったという人がいた。私の場合は、穏健なヨーグルトだった。ツイていたと思う。毎日無糖ヨーグルト(450g)を一パックずつ食べるのもどうかとは思うが、なかなか手に入らないパクチーに業を煮やし自分で種を蒔いて育て収穫して食べ続けた友人よりははるかに楽だった。

 小説って、きっと無糖ヨーグルトみたいなものだ。なんでヨーグルトなの? と聞かれても答えられない。気づいたら好きになっていて、それなしには居ても立ってもいられなくなる。もともと小説は好きだった。自分が書くとは思わなかっただけだ。だけど、書いている間、楽しくて楽しくてしかたがなかった。

(「ホルモンから生まれたーーまえがき」)

 

やりたい、やりたいというよりも、なぜかできてしまうこと。あるいは、勝手に動いている、何かに動かされてしまうもの。

 

わたしは、そういう、わたしのホルモンが求める「何か」を知りたい

「考える楽しさを伝える人になりたい」っていう、こっちに行きたい!って方向性、その方向に向かって、どうやって向かっていくかっていう、方法っていう部分。

 

「東大生だから、方法なんて構うもんか、なんだってできる。」って思ったけど。

いや、そりゃね、できるのかもしれない。

(それに、東大生とか、そこには関係ないって今は思う。できる人には、できる。)

 

「できるかどうか」じゃなくて、「わたしは、どうしたい?」って、わたしにとっては、「やりたいことをやる」って、方向性だけじゃなくて、方法も大事で、具体的になにかって今はわからないけど、とにかくホルモンを原動力に、進んでいきたいのだ。

 

そこに行くために、無理をしてたり、楽しくないけどやるっていうのも、ときには大事なのかもしれないけど、まずは「わたしはどうしたいの?」って、そこからスタートして組み立てていきたい。

 

 

もっと思い切って、根本的に。脱皮したい。ホルモンに逆らわず、生きる。

わたしはずっと、無意識のうちに、「落ちこぼれ」たくなくて、「いい子」でありたくて、そう思って生きてきたように思う。うまいこと、レールに乗ってグングン遠くに行ってやろう!って思ってきた。そうしているうちに、わたしは自分で、わたしのホルモンのことをあまりわからなくなっていったように思う。

 

でも本当に、どこからなのか、もしくは最初からなのか?レールに乗ることをホルモンが拒否しているようだって、気づいた。そしてどうやらわたしは、ホルモンに逆らって生きようとしても、苦しくて苦しくて、続かないようなのだ。

 

それでも中途半端に、ボロボロになってるのに、「いい子」のコスプレを続けてきた。 

 

今は、仕事を辞めて、「いい子を演じようとしても続かないんだから、もういっそ、正直を極めてみよう。わがままに生きよう!」と。

 

そして自分のホルモンを知る第1歩として、「まずは今、書きたいと思う気持ちのままに書く、そのことからはじめよう」と。

 

そう思ったら、不思議とすっと楽になって、ずっと読めなかった本が、すらすら読めるようになってきて、書くことが、今、楽しい。

 

 

 

書きながら、その書くことが働くことに繋がるかもしれない。

書くこと自体が繋がらなくても、ホルモンのままに書いているうちに、長らく隠れていたわたしのホルモンが、そのうち顔を出してくれるかも知れない。 

 

まあ、それで、もしうまくいかなかったら、またそのとき考えたらいいじゃない。何もわたしを妨げるものなんか、ないんだ。