山の日の駒場【時々書きたくなるエッセイのようなもの】
大学に行った。卒業生が図書館を利用できる制度があって、その申請をするためだ。
だが結局は、卒業証明書を発行する機械が祝日で利用できず、(前はそうだったっけ)と思いながらぶらり散歩をして終わった。
約2年半ぶりの駒場キャンパス。
ラッキー。ねこちゃんがお出迎えしてくれた。
東大は、駒場キャンパスは1・2年生のみ、専攻が決まったら本郷キャンパスに通うのが一般的なのだけれど、「教養学部」を選んだ人だけはずっとここで過ごすことになる。
霧雨の降る、鬱蒼とした重苦しい緑に囲まれた講義棟。4年間、じゃなかった、ちょっと多めに5年間駒場にいた身としては、これらこそ東大だなあと思う。
「東大である」ということの重圧を、実は今も感じていると先日これまた久しぶりに会った友人が打ち明けていた。
わたしから見た彼女は、いつも、軽々と飄々と自分を楽しんでいる印象だったから驚いた。それもまた、重圧によって引き起こされている部分があったのかもしれない。わたしだけじゃないんだなあと思う、それだけで重圧も、ちょっと楽しくなる。
重々しいこの感じを、こうやって書いていること自体、わたしにとってはもうある程度、「かつての」ものになっているんだなあとも思う。
だからこそ、この重みを楽しめるようになってきたのだ。図書館、リベンジしにまた来る。